既に犯人が死亡していたという事実は、警察も想定外だった──。
2009年、島根県浜田市に住んでいた、県立大1年の平岡都さん(当時19)が行方不明となり、その後、広島県内の山中で切断された遺体となって発見された事件。ネット上では未解決事件としての「島根女子大生死体遺棄事件」と、「島根女子大生殺害事件」が現在も混在している。
2016年12月20日、島根・広島両県警は、矢野富栄容疑者(当時33)を殺人などの疑いで書類送検した。
7年前の事件直後に交通事故で死亡していた矢野容疑者だが、平岡さんの住む浜田市の隣、益田市に住んでいた。なぜ、それほど近くに容疑者が生活していたにもかかわらず、捜査に7年もかかってしまったのだろうか。
そして容疑を固める最大の〝決め手〟となったデジカメ、USBメモリに残されていた画像とは一体、どんなものだったのか。詳細な経緯を含め、捜査関係者から話を聞いた。
■―――――――――――――――――――― 【写真】島根県警公式サイト「女子大学生死体遺棄等事件の送致について」より
(http://www.pref.shimane.lg.jp/police/hamada.html)
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7年という歳月は事件を風化させるだけでなく、死亡した矢野容疑者の記憶と痕跡も消し去ってしまう長さだったようだ。当時、矢野容疑者が住んでいた自宅周辺を取材した記者は、あまりの手応えのなさに途方に暮れたという。
「矢野容疑者が当時住んでいたのは、益田市内にある1戸建ての借家でした。周辺には何件か民家もあり、大家さんも近くに住んでいたので、何かしら証言が出てくると思っていたのですが、実際は真逆の結果となりました。まず大家さんは『契約などは不動産屋に任せていたから会ったことはない』の一点張り。隣近所に矢野容疑者の顔写真を見せても『全く記憶にない』と口を揃えます。考えてみれば、容疑者は独身で33歳。町内会にも所属せず、7年前に数か月しか住んでいなかったのですから、覚えているはずもないと思い知らされました。おまけに矢野容疑者の死後、その借家はある家族が住み、去年までは別の家族が住んでいたようです」(社会部記者)
ここで事件の詳細を、簡単に振り返ってみよう。ことの発端は2009年10月26日の夜。島根県立大1年だった平岡都さんは浜田市内でアルバイトを終えると、行方不明となる。そして翌11月6日、頭部が北広島町の臥龍山山中で発見。その後胴体などの複数の部位が相次いで発見された。
遺体をバラバラにする猟奇的な殺人事件ということもあり、多くのマスコミが現地に入り取材をした。しかしその後は有力な目撃情報も得られず、進展を見せないまま事件は迷宮入りしたかに思えた。
ところが、今年に入って警察が行ったある捜査をきっかけに、点と点がつながり容疑者特定にたどり着いたという。その経緯について、ある捜査関係者が取材に応じてくれた。その一問一答を、ここで再現する。
──矢野容疑者に捜査本部が接触したのは、どんなタイミングだったんですか?
捜査員 実は事件が発生してから、任意で事情を聞いた記録があります。なぜ聴取したのか、当時の詳しい捜査状況まで、私は知りません。ただ、特に「怪しい」という情報があったわけではなく、あくまでも広範囲な聴取対象の1人だったようです。その時には矢野容疑者と平岡さんの接点は見つからず、他の疑わしい人間の捜査に力を入れていました。
──では、矢野容疑者が〝犯人〟として浮上した経緯は?
捜査員 今年、2016年に入って捜査本部で改めて、周辺で起きた性犯罪事件を洗いなおしました。それと車両の移動記録を突き合わせると、矢野容疑者が遺棄現場近くで車を走行させていたことが分かったんです。
これまでに「矢野富栄」という人物は、何度か新聞紙上に氏名が掲載されている。まず、それを振り返っておこう。
まず西日本新聞が1994年12月20日に掲載した、『[合格おめでとう]九州工業大、図書館情報大』という記事に、九州工業大「情報工学部知能情報工学科」の合格者の1人として「鎮西敬愛」高校の「矢野富栄」という生徒名が記されている。
次に朝日新聞の山口県版は2009年11月11日、『中国道死亡事故、男女の身元判明 県警高速隊』の記事を掲載した。
先に見た矢野容疑者が死亡した交通事故についての報道だ。文中では事故を、
<中国自動車道下り線で11月8日、乗用車がガードレールに衝突、炎上し、乗っていた男女2人が死亡した事故>
とし、県警高速隊が死亡者を発表したと伝えている。2人の姓名は、
<運転していた下関市神田町1丁目、会社員矢野富栄さん(33)と、助手席の母で自営業の貴美子さん(58)>
となっている。
さて、2009年に交通事故で死亡した33歳の「矢野富栄」は誕生日が不明だとはいえ、1994年に18歳だった可能性はある。
更にサンケイスポーツは16年12月21日の『島根女子大生殺害 7年を経て急展開…事故死男を書類送検』の記事では、容疑者の経歴を次のように記した。
<矢野容疑者は山口県下関市で小中学期を過ごし、近所の人は「おとなしい普通の子だった」と語る。北九州市の私立進学高では特進クラスに所属し、福岡県の国立大夜間部に進学したが、中退。実家近くのラーメン店などでアルバイトをして、09年4月に住宅設備会社に就職した>
鎮西敬愛高校は現在、敬愛高校に改称している。所在地は福岡県北九州市門司区。九州工業大学も、北九州市戸畑区に本部を置く。
この矢野容疑者だが、過去に性犯罪の前科があった。罪に問われたのは、2004年に北九州市や東京都内で、面識のない女性に刃物を突き付け、わいせつな行為をしようとケガをさせるなどした3つの事件だ。裁判は東京地裁で開かれ、3年6カ月の実刑判決を受けている。
「数少ない点と点のつながりですから、早速周辺を調べはじめましたが、すぐに7年前に事故死していたことも判明しました。ただ、そこで捜査を止めるわけにはもちろんいきません。下関市内にある矢野容疑者の実家などを家宅捜索したところ、押収したデジカメとUSBメモリから、行方不明後の平岡さんの画像を発見したのです。それが容疑を固める決定的な証拠となりました」(前出の捜査関係者)
(無料記事・了 後篇に続く)