出版界は「不況」というより、どこまで「縮小」が進むかが焦点のようにも思えるが、そんな状況で『住友銀行秘史』(講談社)が2016年10月に出版され、僅か3か月で13万部を売り上げたという。
「ベストセラー」と形容すべき部数ではない、とお考えの向きもあろうが、内容を斟酌して頂きたい。戦後最大の経済事件と評された「イトマン事件」(1991年)の裏側を、関係者の実名と共に赤裸裸に活写したノンフィクションだ。
その筆者、國重敦史氏が次回作の執筆を開始したとの情報が入ってきた。仮タイトルは、これまた刺激的な『楽天秘史〜TBSとの攻防〜』だという。 ■―――――――――――――――――――― 【写真】TBSホールディングス公式サイトより
(http://www.tbsholdings.co.jp/index-j.html)
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2005年10月13日、楽天の三木谷浩史社長は突如、「TBSの株式を15.46%取得した」と発表した。
電撃発表にメディアは沸き立つ。何しろ、この年の2月にライブドアとフジテレビがニッポン放送株を巡って大騒動を引き起こしたばかりだったのだ。
ライブドア・フジと同じように、楽天とTBSも主導権を巡って激烈な攻防を演じる。その舞台裏を『住友銀行秘史』と同じように丸裸にしようというわけだ。
改めて、経緯を振り返っておこう。05年3月、ニッポン放送株を大量に取得したライブドアは、親会社であるフジテレビに提携を迫る。ライブドアは「フジテレビ乗っ取り」の宣戦布告を行ったわけだ。
フジテレビ側は反撃に出る。TOB(株式公開買い付け)に対抗する新株予約権発行やポイズンピル(毒薬条項)の検討など買収防衛策を講じ、法廷闘争に発展する。だが、そもそも株式の大量取得を想定していなかった点は如何ともし難く、裁判でフジテレビは敗訴に次ぐ敗訴を喫してしまう。
追い詰められたフジテレビは仲介役たるホワイトナイトを探す。すると楽天が手を挙げた。「渡りに船」とフジは乗ってきた──はずだったのだが、ある日を境にフジは楽天への連絡をシャットダウンしてしまう。
一体、何があったのか。「どういうことなんだ?」と困惑し、次第に焦りを強くする楽天首脳陣。三木谷浩史社長は何度もフジテレビの日枝久会長に連絡するが、全く返信は来ない。
連絡が跡絶えてから4日後の3月24日。楽天首脳陣はテレビを見て驚愕する。フジテレビのホワイトナイトとしてテレビに映ったのはSBIホールディングスの北尾吉孝CEOだったからだ。北尾氏から語られる買収防衛策は楽天がフジテレビに提案したものばかり。
「やられた」──三木谷社長は「これに対しては、必ずリベンジする」と誓う。
これが「楽天VS TBS」の〝原点〟だったという。
國重惇史氏は、この日のことから、書き起こしていくという。夏になると、村上ファンドの総帥・村上世彰氏から「TBS乗っ取りを一緒にやらないか」と提案される。そして10月の株式大量取得につながっていく。
楽天のTBS株大量取得発表後、TBSは城所賢一郎専務を担当に任命。一方、楽天の担当は当時副社長だった國重氏だ。
それから1カ月半、両者は極秘に何度も折衝を重ね、合意一歩手前まで進む。最後は楽天の三木谷社長の決断だけ。しかし、首は縦に振られなかった。
それは一体、なぜなのか。次回作の肝は、ここになる。
05年11月末、両社の間には休戦協定が結ばれ一旦、この騒動は収束する。しかし、その後も株主総会、法廷闘争と続き11年4月の最高裁による特別抗告棄却で決着する、というのが現在に至る〝結末〟だ。
とはいえ、「イトマン事件」は25年前の出来事。中心人物の旧住友銀行頭取の磯田一郎氏は死去していたことから訴訟沙汰にはならなかった。
だが「楽天vsTBS攻防戦」は関わった人間たちのなかで現役の者も多い。なかでも三木谷氏は今もその地位にある。すんなりと出版できるのか。見ものでもある。
(無料記事・了)