2月といえば、特に東京で中学受験が行われるのをご存じだろうか。
例えば東京の「男子御三家」たる開成中学(東京都荒川区西日暮里)、麻布中学(港区元麻布)、武蔵中学(練馬区豊玉上)は2月1日が入試日だ。
中学受験に詳しい向きなら、近年は「6年制の中高一貫校」が注目を集め、「公立校リバイバル」が叫ばれて久しいことも把握しておられるだろう。
ところが──である。
「公立校には絶対に進学させてはいけません。元凶は部活です。日本の公立中学の生徒は、部活に殺されてしまいます」
こう強く主張する教師がいる。都内の中学校に勤務する現職だ。どういうことなのだろうか。まずは、彼の訴えに耳を傾けて頂こう。
■―――――――――――――――――――― 【写真】私立中専門サイト『シリタス』の「東京都の私立中学校 偏差値ランキング」より
(http://www.chu-shigaku.com/list/p_tokyo/popular_1.html)
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「私は調布市の中学校に勤務しています。今は比較的、落ち着いた生徒が多いのですが、通学区域に古い都営団地を抱えているんですね。生徒の割合は都営団地が6割、一戸建てやマンションが4割というところです。これでも都営団地から通う生徒の割合は減ったほうです。そもそも開校の目的が、高度成長期の団地に住む子供たちの受け皿だったそうですから。そのため、70年代から80年代にかけては、非常に荒れた時期もあったといいます」
教師による「身も蓋もない」解説によると、この都営団地から通う中学生の保護者は、大半が低所得者層だという。そういう「社会的階層」に位置する家庭の生徒が増えると、問題行動が増えるのは「定理」や「真理」のレベルだそうだ。
実際、この中学校が落ち着いたのは、バブル経済を経てからだ。田畑で住宅開発が行われ、サラリーマンの家庭、特に小田急線や京王線で新宿、大手町に通う父親を持つ生徒が増加した。すると反比例するように「校内暴力」や「非行」が減少した。
教師の回想は続く。
「ところが90年代になると、また変化が生じます。低所得者層の親を持つ生徒が増えると、問題行動の増加だけでなく、学力の低下を招くことが顕著になりました。バブル崩壊と長く続くデフレ不況により、『誰でも勉強すれば、いい大学に進学できて、いい会社に就職できる』という言説を多くの人が信じなくなりました。そのため、特に低所得者層の親が子供に対して著しく放任的になったんです」
そもそも80年代までは「一億総中流」が信じられており、極端な「低所得者層」は存在しない──建前だったかもしれないが──ことになっていた。
かつての「不良」も、親が困窮していた者ばかりではない。40代の方々なら、例えば八百屋、魚屋、肉屋、美容室といった、地元商店街で店を構える親を持つ子供たちが、小学校高学年から中学にかけて「不良/ヤンキー」と化し、校内暴力を引き起こしたり、暴走族で暴れ回ったりしたことを、ご記憶かもしれない。
ところが、そういう生徒たちは中学校も、更に受験に合格して進学した商業高校も、意外に悪くない成績で卒業したりする。20代になると家業を継ぎ、30代になると地元商工会の飲み会で「俺たちが悪かった頃は〜」と思い出話に花を咲かせる──こんな〝社会的階層〟は確実に存在した。何よりも重要なのは、地元商店街で商売をしていた親たちは「低所得者層」ではなかったということだ。
それがバブル崩壊を経て、日本経済は「失われた20年」に突入する。90年代後半から「格差社会」がクローズアップされ、更に2000年代を迎えて「教育格差」が注目されるようになった。
教師が勤務する調布市の中学校でも、親が「勝ち組」か「負け組」かによる違いが顕著になっていく。都営団地に住む低所得者層の親は子供を放任し、マンション・一戸建てに住む中・高所得者層の親は依然として教育熱心。
問題なのは中・高所得者層の親は、子供が小学校の時点で、公立中学校の状況を把握してしまうことだ。
対応策として、私立中学校への〝人材流出〟が加速する。調布市の中学校は「所得が低く、教育への意欲が低い親」の子供が厳選された格好で集まってしまう。成績は更に下がり、それを把握した中・高所得者層の親は一層、中学受験に力を入れる。こうして悪循環が始まっていくのだ。
では教育意欲の低い親と、成績の低い生徒で構成されるようになった中学校は、どういう対応策を講じるのだろうか。
少しでもきめの細かい授業・指導を行い、僅かでもいいから生徒全体の学力を向上させようと、教職員が一丸となって努力している──かといえば、そんなことは全くないのだという。先の教師が打ち明ける。
「校長の号令のもと、部活動で生徒を疲弊させるんです。手本となっているのは1960年代後半から70年代前半にかけて、足立区など校内暴力が蔓延した中学校の対応策だそうです。当時、足立区や江東区は中学教師たちから『戦場区』と呼ばれていたといいます。冗談ではなく、本気の形容だったでしょう」
興味深いのは、当時は「戦場区」にこそ、指導力の高い教師が集められたという。そして彼らが編み出した指導方針が「部活に打ち込ませ、汗を流させて不良化を防ぐ」というものだった。
社会的背景を浮かび上がらせるものとして、例えばテレビドラマ『スクール☆ウォーズ』(大映テレビ・TBS)のオンエアは84年。原作の『落ちこぼれ軍団の奇跡』(馬場信浩著・光文社)は81年に出版されている。モデルの1人である大八木淳史氏は61年生まれ。まさに70年代後半に中学生だった世代だ。
「足立区を縦貫する国道4号線なんて夜ともなると、暴走族が跋扈する映画『マッドマックス』の世界そのままでした。教師は生徒と『やるか、やられるか』という気迫で相対していたわけです。荒れた家庭の、荒んだ生徒には、そうやって立ち向かうんだという信念があったんです。ところが最近、まるで当時に戻ったかのように、土日も休みなく部活を行わせる中学校が非常に増えているんです。部活は週7日、朝練に自主練と、まるで私立高校のスポーツ校のようなスパルタぶりです」
かつて『週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集方針とされた『友情・努力・勝利』など今は昔。にもかかわらず、なぜ都内の中学校だけが根性主義なのか。その謎を、この中学教師は「高校受験が内申書を重視していることが、実は大きな原因です」と解く。
「それほど成績の良くない生徒にとっての高校受験は入試の点数ではなく、内申点で合否が決まります。そして内申点の算出方法も、中間・期末テストの点数は4割に留まっています。残りの6割はノートのとりかたを評価するとか、宿題など提出物の真面目さを反映させるとか、日常の細かいところを点数化しているんです」
そんな中学校に通う生徒の中に、いわゆる「偏差値の高い都立高校」への進学を望んでいる者がいたら、どうなるだろうか。
まずは部活の負担を少なくしてほしいと考えるに違いない。せめて土日は休みにしてもらって、勉強の時間を捻り出したい──だが、こんな真っ当な願いでも、少なくとも調布市の中学校で実現は難しいという。
「最初に懸念されるのは、部活仲間、同級生との齟齬ですね。中学生ともなると、ブラック企業顔負けの一体感を、よくも悪くも持っています。『みんな頑張っているのに、お前だけサボるのか』と詰問されれば、ひとたまりもないでしょう。最悪の場合は、イジメの原因になってしまいます」
とにかく校長は60〜70年代の〝成功体験〟を再現させることに忙しい。となると、その〝教育方針〟に従う部下たる教師も、「勉強熱心」な生徒の味方になってくれないという恐ろしい状況となる。
「今のシステムでは、テストで高い点を取っても、自動的に内申書の評価は上がりません。極論すれば、中学校における生活の全てが点数化されているわけです。部活の顧問に逆らうと、担任教師などに伝わってしまうことを、当然ながら生徒は恐れます。となれば、とにかく教師には唯々諾々と従うことが得策となります」
この教師は「モンスターペアレンツなど、普通の中学にはいませんよ」と断言する。たとえ低所得者層で、教育への意欲は低くとも、やはり多くの保護者は子供を高校に行かせなければならないとは思っている。そのため教師を盲従するのは親も同じだ。
「第一志望などとは考えず、私立でもいいから、とにかく合格させてくれるところに行きたいというのが親子の本音です。そのため教師にゴマを摺っても内申点を確保したいということになる」
既に文科省は、部活顧問を務める教師の負担が大きいとし、部活の実施に関して改善指針を示している。だが週7日の部活動は「言語道断」という雰囲気になってきたのかといえば、それは違うという。
「今後、中学の部活では専任のコーチを雇う動きが加速するはずですが、コーチとなると教師以上に結果を求められることになります。表面的には週5の練習に留めていても、土日に〝自主的〟な練習や試合を組み込まない保証はどこにもありません。部活で疲れた生徒たちは確かに反抗する気力をなくしたかもしれませんが、勉強への意欲も奪い取ってしまったわけです」
この教師は「文科省や東京都教育庁が、どれほど指導指針を出して改善を図ろうとしても、さほど状況は変わらないはず」と悲観的な予測を示す。なぜだろうか。
「結局のところ、現場の裁量は校長の権限が極めて大きいからです。そして校長の実積が何で査定されるかといえば、学校の『秩序安定』という4文字に尽きます。自分の在任中に生徒の不始末が起きないことが全てです。そんな環境ですから、いくら小池知事が『グローバル人材の育成』を強調しても、調布市の公立中学校にとっては、どこか遠い世界の話でしかありません。私が言えることは、ただ1つです。とにかく公立中学校に入学してはいけない。なぜなら部活に殺されるからだ、です」
当然ながら、私立の中高一貫校にも闇は存在する。過酷な授業へのキャッチアップに失敗、挫折して、うつ病などの原因で退校せざるを得ない生徒もいる。
極論すれば、日本の中学生は「部活で死ぬか」「勉強で死ぬか」のどちらを選ぶかということなのかもしれない。どう考えても健全な教育環境とは言い難いが、少なくとも「私立中と公立中のどっちがいい?」という表面的な設問よりリアルなのは間違いないだろう。
とどのつまりは、親と子の「覚悟」が問われているということに違いない。
(無料記事・了)