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2017年4月11日

【無料記事】小池都政の「アキレス腱」か「上山信一・半田晴久」両氏

 6月23日告示、7月2日の投開票が予定されている東京都議会選挙。台風の目は言うまでもなく、小池百合子知事の「都民ファーストの会」だ。報道によると、全選挙区に候補者を60〜70人程度、擁立するとされている。

 都知事当選後、豊洲新市場移転問題、東京五輪会場問題、そして都議会の「ドン」らとのバトル、百条委員会……と、「小池劇場」は連日、メディアで大きく報道された。

 今は若干、過日の勢いを失ったようにも見えるが、それは一時的なものだろう。都議選が近づくにつれ、劇場は再び活況を呈するのは疑いようもない。

 高い支持率を維持し、小池都政は磐石のように思える。果して、本当に「アキレス腱」や「弁慶の泣き所」すら存在しない、ロボット的な強さを実現しているのだろうか。

 確かに、小池知事自身は、それだけの〝豪腕性〟を持っているかもしれない。しかしながら、政治は1人では行えない。小池知事の周囲には、ブレーンなど様々な関係者が蝟集している。そうした人々も都知事と同じように「無敵」であるはずもない。

「安倍一強」と言われていた国政でも、安倍首相本人ではなく、昭恵夫人が原因で、思わぬ躓きが生じてしまった。類似の可能性が、小池都政にも存在する。まず1人目は、小池知事が結成した「都政改革本部」のうち、まとめ役たる特別顧問に就いた上山信一・慶応大教授だ。

 上山氏の存在は、関係者の間で憶測を呼び続けている。なぜか。実は上山氏、橋下徹・前大阪市長の「ブレーン」をしていたことで知られる人物なのである。

■―――――――――――――――――――― 【写真】たちばな出版公式サイトより (http://www.tachibana-inc.co.jp/index.jsp)

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 関係筋が解説する。

「上山さんが橋下さんをけしかけて運動を開始させたにもかかわらず、結局は橋下劇場の幕引きにもつながってしまったのが、皆さんご存じの大阪都構想です。府と市を統合し、市内を東京23区のように特別区で再編成しようとしたわけですが、狙いは二重行政の解消と、東京一極集中によって地盤沈下が激しい大阪の都市力の再興、道州制導入の入口などと言われていました」

 しかし2015年の住民投票により、大阪都構想は僅差の末に否決されてしまう。この上山氏が今度は東京都に乗り込んできたわけだ。

「上山さんが小池知事と組んだのは、ずばり大阪リベンジだと言われています。小池新党の政策に道州制の導入を加えさせ、大阪で果たせなかった『明治以来の中央集権打破』を実現させようというわけです」(関係者)

 1980年に当時の運輸省に入省した上山氏は6年後、マッキンゼー・アンド・カンパニーで経営コンサルタントとして活躍を始めた。地方行政に経営コンサルタントとしてのノウハウを導入し、福岡市や神奈川県逗子市などで行政改革に手腕をふるった過去を持つ。別の関係者が言う。

「小池知事が立ち上げた都政改革本部には、上山さん以外にも、橋下さんの政策立案ブレーンだった鈴木亘・学習院大教授もメンバーに入っています。大阪では、貧困地域対策など次々と斬新な策を打ち出しました。このほかにも都政改革本部には、大阪維新勢力と近い経営コンサルタントなども入っています。つまり、大阪では成就しなかった〝夢〟を、今度は東京でやろうとしているのではないのでしょうか」

 ちなみに橋下氏の小池知事に対する態度は固く、厳しい。かつてのブレーンの本音が見えるからなのだろうか。

半田晴久=深見東州氏も小池知事の「ブレーン」

 更に半田晴久氏ともなると、更に馴染は少ないだろう。

 例えば都内私鉄の車内で「深見東州」なる人物の書籍を紹介する「たちばな出版」の広告をご覧になったことはないだろうか。この深見東州氏は「芸術活動」や「宗教活動」を行う際の〝通名〟だとされ、その本名が半田晴久氏なのだ。

 たちばな出版は、実質的に半田氏がオーナー。更に新興宗教・ワールドメイトの総裁や、予備校・みすず学苑の代表も務めている。

 ここまでなら、相当な「好事家」ならご存じかもしれない。

 だが、そんな「深見東州マニア」でも、氏が福岡にある在福岡カンボジア王国名誉領事館の名誉領事という〝公職〟の持ち主だとは知らないのではないだろうか。

 更に、この半田氏のもとには、大きな集金力を見込んでか、与党、野党の有力政治家らが集い、たちばな出版の顧問職を引き受けている。

 そのなかの1人が、小池劇場への飛び入り参加で、にわかに復活の狼煙をあげんとする、元東京都知事の猪瀬直樹氏だ。

 猪瀬氏と言えば先頃も、小池塾の講師に呼ばれ、「敵は誰か」など、小池知事への援護射撃とも取れる発言で、メディアで話題になったのは記憶に新しい。

 とはいえ、テレビ出演でギャラを得たとしても、それだけで生計を立てるのは難しい。これまでは80〜100万円とされる講演料があったが、今は昔の話だ。では現在、猪瀬氏の「懐事情」はどうなっているのだろうか。

 猪瀬氏は現在、半田氏がオーナーの、たちばな出版と関係を密にしている。半田氏は安倍首相とも近しいとされ、自民党議員だけでも、十指に余る人数を顧問に採用している。

 つまり「政界の新しいタニマチ」として頭角を現しつつあるのだ。新興宗教のワールドメイトではなく、たちばな出版という出版社を選ぶところも、政治家に対する配慮が行き届いている。政治家からすれば、新興宗教とは係わり合いになりたくないだろうが、出版社なら何の心配もない。

 自民党は与党ながらも、政治資金パーティーの収入は目減りしている。党本部への大口献金があっても、代議士の懐が潤うわけではない。景気改善が謳われても庶民の足下までは好況感が巡ってこないアベノミクスの実態さながらだが、だからこそ、個人で潤沢な資金を差配できる「ワールドメイト総裁」にもすがらざるをえないのだろう。

 与党、野党の代議士らが群がる半田の新たな軍門にくだった猪瀬直樹の目下の野望は、「来夏の都議選以降の都政顧問」への復帰であると囁かれている。

 いまだ徳州会の5000万円借用で公民権が停止しており、副知事など公職就任がかなわないが、大坂府同様に「顧問職」に就くことで復活の礎を着実に積み重ねたいというのが猪瀬の本音だという。

 ご存じの通り、小池知事は少なくとも現時点で、国政レベルでの「自民党決別」は行っていない。全面的な敵対関係にあるとされる都政とは対照的だ。

 となれば、「右手に上山氏=維新、左手に猪瀬氏=自民」という両面作戦は、非常に効果的だろう。どれほど都議選で圧勝しても、左手を離さなければ、時期首相候補として名が挙がり続ける。実際に総理総裁を目指さなくとも、候補者にカウントされることは小池知事にとって計り知れないプラスになっている。

 しかしながら、上山氏にも、猪瀬氏にも「アキレス腱」が存在するのは、これまでに見て頂いた通りだ。そもそも、新党を立ち上げながら、自民党とも関係を保つという小池知事のウルトラCも、いつまで続くのかは分からない。

 小池知事の「未来」は、思われているほどに明るくなく、茨の道というのが事実だ。知事は信じられないバランス感覚で平均台の上に立って歩き続けているが、本人ではなくブレーンのせいで転落する可能性は常に存在する。

(無料記事・了)

2017年4月3日

【無料記事】猪瀬都政「陰の腹心」が解説する「前川燿男証人喚問」

 弊誌は16年7月28日、

『猪瀬直樹氏の「元腹心」が解説する「猪瀬VS内田茂〝ドン〟都議」バトルの真相──「紀尾井町ヒルズ計画」を知らぬ〝田舎の猪〟と〝ゼネコンに担がれた神輿〟の近親憎悪』

の記事を掲載した。
(http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000287/)

 ここでインタビューに応じて頂いた「腹心氏」に今回、目前に迫った前川燿男・練馬区町、元知事局長の百条委員会における証人喚問について、話を伺った。

 3月3日に石原慎太郎氏は会見で、「用地買収の交渉役」と前川氏を名指ししたが、後に「誤りだった」と撤回するという騒動を引き起こした。そんな前川氏が百条委員会に出るとあって、当日の騒ぎは必至だろう。

 腹心氏は都政における前川氏の役割を解説することから始め、最終的には石原都政の本質論に迫っていく。では、一問一答をお届けしよう。

■―――――――――――――――――――― 【写真】前川燿男・練馬区町公式サイトより

(http://maekawa-akio.net/)

■――――――――――――――――――――

──まずは、3月3日に行われた石原慎太郎・元都知事の会見について印象を教えて下さい。

腹心氏 石原氏と同じように、質問者の顔ぶれまで旧態依然としていたのには、苦笑を禁じえなかったですね。

 元朝日新聞編集委員、毎日新聞元政治部長……などなど、完全に退職したのか、嘱託扱いなのかは知りませんが、要するにOB記者が勢揃いし、丁寧な口調ではありましたが、糾弾ありきの質問を繰り広げていました。

 これがフリーランスのジャーナリストとなると、石原氏を会場で粛清せんと気合を入れていたのか、単に幼稚な精神構造の持ち主だったのか、とにもかくにも、ひたすら雄叫びを上げるだけでした。

 率直に言って、日本ジャーナリズムの質問力など、あの程度です。残りはテレビ局がお決まりの質問をこなし、石原氏が「とぼけ」たり「逃げ」たりする画を撮影しただけでしたね。

 少なくとも日本の記者会見では、メディア側が「とっておきのネタ」を隠し持っている場合、会見で質問することはありません。自分たちのスクープネタを、みすみす他社にくれてやることになってしまうからです。

 会見では沈黙するか、そ知らぬ顔で平凡な質問に留めておきます。その後、本人に直接、1対1の「サシ」で取材を行う。その一問一答を記事化の際に掲載する、これが基本的な流れになります。

 では石原氏の会見で、そうしたネタを隠し持っていた社はあったでしょうか? 私はリアルタイムで試聴していた時から、そういう印象は皆無でした。

 今となっては、どの社も何もネタを持っていなかったのだと断言できます。なぜなら、3月4日以降、石原氏に関するスクープは全く報じられていないからです。

 会見に集まった報道陣は手持ち無沙汰。石原氏を詰問する姿さえアピールできればいいという、いつもの体たらくを、たっぷり堪能させてもらいました。 

 別にスクープを準備できなくてもいいんです。会見では建前の回答を引き出しておいて、小さなネタでもいいから、何とかしてサシの取材に持ち込む。そして、石原氏の会見は徹頭徹尾、隠蔽を企図していたことをあぶり出す──こんな手腕を持った記者は、今や皆無だと分かりましたね。

──この会見で、前川燿男氏の名前や、知事本局という部署名が飛び出したわけです。後で訂正する騒ぎになったのは記憶に新しいですが、4月4日には再び焦点が当たると考えられます。どう捉えておられますか?

腹心氏 知事本局は石原都政時代に肝いりでつくられた総合調整部局で、いわば大臣官房のような位置づけです。もちろん、他部局の決定を覆す権限など与えられていませんが、総合調整部局としての裁量の網は、都政最大を誇ります。ありとあらゆるところに及ぶと表現しても過言ではないでしょう。

 知事と直結し、知事の意向を下方に伝える。同時に、各部局の水平方向の伝達も担当します。そのため権限などなくとも、知事との距離感という点だけでも、他部局は知事本局の意向を常に伺うようになっていきます。いわば心理面で拘束されるわけです。

──石原氏は「誰かが判子を押した」と、あくまでもボトムアップでの認可を行っただけと逃げの姿勢を強くしていますが、このあたりはいかがでしょうか。

 そもそも週に1回、金曜日の昼前後に現れるだけの石原さんが都政の詳細を把握するのは無理です。

 正午から午後3時までの数時間のうち、都庁の各部局は知事会見に向けて、絞りに絞り込んだ内容だけをレクチャーします。必然的に、決定事項の伝達と背景解説を手際よく行わなければなりません。そこに至るまでのプロセスを報告する余裕はなく、石原知事も全く把握しない、というわけです。

 石原さん本人がおっしゃったように、都トップとしての形式的な責任はあります。しかし、政策決定プロセスに対する実質的な責任まで押し付けられるのは敵わない、というのは本音ですね。虚言とか、弁解というのとは違うと思います。

 確かに、あれだけ広大な土地の売買で、瑕疵担保責任を問われない契約というのは、売り手側にとっては大変なものです。また、あの当時、東京ガスの跡地は相当に汚染されているという情報は、国政サイドに至るまで、実は広範囲に知られていたんです。

──え、そうなんですか!?

腹心氏 私自身、とある代議士筋から、さるタニマチ業者を土壌浄化事業に参入させてほしいという陳情めいた話を受けたことがあります。

 少なくとも当時、土地浄化の先端事例は、何と言ってもアメリカでした。広大な軍事基地の土壌浄化を何度も実施しているため、ノウハウや技術が民間企業の間にも広く浸透しているんです。

 結局、豊洲の浄化事業を国内ゼネコンが請け負うのは当然として、事例の乏しい国産技術だけでやるか、アメリカの特許技術を導入するかという大問題が存在したんです。

 つまり盛り土という方法を選択しようとしたのは、アメリカほどの特許を取得できていないことが大きな背景だったんです。対処療法的にやろうとしたとも言えます。

 専門家が提言したように、盛り土でも科学的に充分な効果があるなら、それでいいのかもしれません。とはいえ、土地浄化の方法をアメリカ特許にするか、日本技術にするのかというせめぎあいだけでなく、どこの会社が請け負うのか、参入できるのかというバトルも凄まじいものがありました。そんな水面下の騒動が、代議士サイドの陳情にまで発展していたわけです。

 そうした蠢きの1つ1つを、知事に報告するようなことを、現場がするはずがありません。仮に、石原さんが毎日登庁していて、豊洲移転を最重要課題として位置付けていたのなら話は別です。

 ですが当時、石原都政は新銀行東京の処理を筆頭に、政治の重要案件が目白押しでした。石原さんの中で、市場問題は既に豊洲移転で決まりだという認識は、噓偽りのない事実だと思います。

──当時の知事本局長だった前川燿男・練馬区長の関与が取りざたされています。

腹心氏 石原さんの発言は、誰が責任を負うのかという観点から見れば、事実ではないでしょう。ただし、実態としては当たらずとも遠からずというところがあります。

 つまり、不作為の連鎖なんです。前川さんが知事本局長だった時期でも、前川さんが全ての決裁権限を持っているわけではないのは、先に見た通りです。

 各部局が決裁を積み重ねていき、最後の最後に前川氏が目を通すわけです。となると、例えば瑕疵担保責任の問題は、どの段階で決定されたのか、前川氏が決定したのかというのは組織図のレベルでは何とも言いようがありません。それこそ百条委員会が解明を迫られているわけです。

 当時は副知事だった、浜渦武生氏が決着をつけるべく、東京ガスと大まかに合意。細部の詰めを〝事務レベル折衝〟として部局員と東京ガスの社員が積み上げていく。そうした中で、組織としての意志も責任者も存在しないまま、「上は決着させようとしているのだから」と「顧慮」という不作為の連続で──現在の流行語なら「忖度」ですか──知事本局まで辿り着いた可能性も否定できません。

 今回の騒動を、前川さんは「とばっちり」だと怒っているようですが、彼のキャラクターを考えれば理解できなくもないんです。

 前川さんは神輿に載せられて、祭り上げられるのは大好きです。ですが、細かな作業は決して得意ではありません。前川さんは東大法出身ですが、同期には他にも何人か東大卒がいました。彼らの誰もがキャリア官僚になれなかったコンプレックスを持ち、都庁内での出世欲は著しく強く、それ故に職員から慕われることはなかったんです。

 前川さんの同期は反石原派も多かった。ですから、同期の中で前川さんはうまく泳いでいた方ですよ。本人としてはいよいよ副知事を狙うか、というところで外に出ることになったので大変に不本意だったようですがね。

──つまり、前川氏には責任はないということでしょうか。

腹心氏 責任者は誰かという問いに対しては、やはり「稟議書に判子を押した人間、もしくは稟議書を上げた部署全体」が答えになるはずです。石原さんだって、会見では、そういうニュアンスのことを言おうとしていたように見えました。

 石原会見の最後に、毎日新聞の元政治部長が、なぜ浜渦武生氏に問い質さないのか、それが石原さんの責務だ、というようなことを言って、迫っていましたね。しかし、石原都政の内実は極めて複雑で、決して一枚岩ではなかったんですよ。

 何しろ、お殿様は週に1度しか出勤しません。となれば、家老たちが実務を処理するために蠢かざるをえないわけですが、どれほどリーダーシップに富んだ大名であったとしても、家老の思惑とは複数存在するものでしょう。表面的には「親分が白を黒と言えば、黒と同意する」ように見える部下でも、実は面従腹背だというのは、決して珍しいことではありません。

 当時の石原知事が、「ここは浜渦に確認が必要だ」と考え、実際に会って問い質す場面もあったでしょう。しかしながら、石原さんとしては腹の底で熟知しているわけですよ。「訊くのは簡単だ。だが果して浜渦は、何もかも全て正直に、自分へ報告するだろうか」と。

 石原陣営というのは、側近の1人1人が、有力代議士クラスの権力と差配力を有していましたからね。 そんな部下を、石原さんがトップダウン式に何もかも指示していたかといえば、そんなことはないですし、そんなことをする必要もありません。

 石原都政の原動力は、実は石原大名と家老側近たちとの、ある種の拮抗関係に存在したんです。側近が石原さんを利用している部分も多かったですよ。大名は大名を続けたいし、家老も同じです。「お家存続」のため、互いをWin-Winの関係に持っていく。阿吽の呼吸の中で、「問い質さない」「報告しない」「誰にも言わない」といった様々なことを抱えて、現在に至っているんです。

 難しいことを言わなくとも、政治家と秘書の関係を思い出してくれれば分かってもらえると思います。そうした綾を石原さんは熟知していますし、浜渦さんも同じです。つかず離れず。互いに絶妙な距離感で動いているんです。

 同じ関係は、知事本局と他部局の間にも存在します。そこには「顧慮」「忖度」という不作為が生じ、その積み重ねが「瑕疵担保責任」の問題を担当していた職員は誰だっけ……? という話になってしまう。

 前川さんが東京ガスに天下ったというのは、いかにもな構図なので、疑惑の目が向きやすいのは言うまでもありません。しかしながら、役人とは臆病なものです。特に前川氏のように神輿に乗せられるのが好きなタイプほど、疑心暗鬼もまた強烈です。パターン通りの贈収賄的関係には応じないはずなんですよ。

 しかしながら、前川さんが例外ではないという保証も、同じようにありません。確かに、あの人は権力欲と名誉欲が強烈で、それは公務員の世界では例外的な感覚です。

 以上、私の解説や推測が、正鵠を射ているのかは分かりません。しかしながら、今回の百条委員会を見る際、前知識としてなら少しは役に立つのではないでしょうか。

(無料記事・了)

2017年3月6日

【無料記事】熱海と「岸信介別邸」での「日本密室政治」秘話

 2007年、静岡県熱海市梅園町で、さる料理屋が人知れず暖簾を下ろした。贔屓客には、脚本家の橋田壽賀子や、梅宮辰夫・アンナ父娘など、舌の肥えた有名人も名を連ねていた。

 今日、料理屋の閉店など珍しくも何ともない。実際に大した話題にもならなかったわけだが、この料理屋はかつて〝昭和の妖怪〟岸信介の別邸だったと明かせば、興味を持つ方もあるだろうか。

 因縁話ではある。07年といえば、9月に岸の孫たる安倍晋三首相が突然の辞任を発表した時だ。国民の多くが唖然、憮然とする中、12月に岸の別邸と謳っていた料理屋が店を閉じたことになる。

 だが「岸の孫」たる安倍晋三は12年、総理の座に返り咲く。一方、岸の別邸は彷徨を余儀なくされている。

 熱海の岸別邸。そこは実に興味深いエピソードを纏った、戦後政治の鬼門とさえ呼べる場所だ。しかしながら現在まで、安倍総理が別邸を訪れた形跡はないという。

■―――――――――――――――――――― 【写真】静岡県御殿場市の「東山旧岸邸」は一般に公開されている

(https://www.kyu-kishitei.jp/)

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 旧熱海市若林が、現在の梅園町だ。地名の通り熱海梅園に近く、眺望も抜群。別荘地の中の別荘地といえる。そこに岸信介は1600㎡に及ぶ敷地を持ち、屋敷を構えていた。

 岸は当時、東京都渋谷区南平台で「うなぎの巣」と呼ばれた細長く奥へと延びる邸宅に住み、首相私邸としていた。それはちょうど道玄坂を上がり、現在の国道246号線に面した養命酒ビルの裏手にあった。

 その南平台の邸宅とともに、熱海のほうを別邸とし、ときに財界人や旧知の政治家を招いては鳩首会談よろしく政治談議に花を咲かせていたのだ。その熱海別邸で、戦後政治の密談史に名を残す事件が起きた。

 安保条約の改定に政治生命を賭ける岸が、絶体絶命の状況にあったときのこと。

「やがて警職法の審議が国会で行きづまり、安保条約改定の時期尚早論も出て、岸政権は危機に瀕し、岸信介は三十四年一月二十四日に総裁公選をくりあげておこなうのだが、このとき熱海会談というのがあった。同年の一月早々に、岸は反対勢力の領袖である大野伴睦、河野一郎の両実力者を別荘に招き、岸政権への協力を依頼する」(岩川隆『巨魁 岸信介研究』ちくま文庫)

 警職法の改正は、岸が安保改定とともに進めていた、内閣の2大課題の1つだった。

 つまり政局は次のような次第だった。安保条約の改定という最大の政治課題に向け、行き詰まった状況を打開するために岸が熱海の別荘に有力者を集めた。

 そして、総理のイスを大野に〝禅譲〟することと引き換えに、安保改定への協力を取りつけたのだ。

「『自分のあとの総裁は、ぜひあなたに』と暗示しつつ頼むと、大野は、『佐藤栄作くんさえ、今後の言動に気をつけてくれれば……』と淡泊にこたえたという。」(『巨魁』)

 しかし岸は結局、この約束を反故にし、大野は総理の座に着くことなく世を去り、その政治生命を終える。

 ところで、熱海会談のこの逸話には、単なる昔話には留まらない意味があった。安倍総理は43歳のとき、こんなことを書き記している。

「例えば、安保を成立させるために大野伴睦さんを説得した。その中で、大野さんに次の政権を渡す念書を書き、大野さんを騙したと世間的にはいわれていました。そこで、その念書の件は本当なんですかということを、ある時、私と祖父と私の伯父とで昼飯を食べている時に、伯父が聞いたんです」(安倍晋三・栗本慎一郎・衛藤晟一『「保守革命」宣言―アンチ・リベラルへの選択』現代書林)

「伯父」とは、おそらく岸の長男である岸信和を指す。熱海の別邸は岸の死後長く、この信和が所有していた。

 この信和の問いかけに、岸はこう応える。

「『あれは、確か書いたなあ』と祖父はいいました。……祖父は食べながらちょっと考えていた。そして、『あれを書かなければ、安保はどうなっただろうか』と言ったんです。」(前掲書)

 その岸の話を聞いた晋三は急転直下、それをみずからの政治信条に引き付け、こう結論付けたのだ。

「例えば、当時の大野派の協力が得られない。党内もうまく行かない。よって安保条約も成立しない。とすると、人間の普通の社会での道徳は完うできるけれども、政治家としての本来の使命は完うできないでしょう。だとすれば、日本の運命はどうなるのか。だから、政治家は『結果責任』をより厳しく問われなければならないのではないか、とその時私は漠然と感じたわけです。」(同)

 この本が出版されたのは96年のことだ。しかし、文中にある「結果責任」を放棄したかたちで、岸の孫が政権を投げたのが07年9月。まるでその後を追うかのように、熱海の岸別邸もまた幕を下したのだから、皮肉な符号といえた。

 岸はこの現代政治史に刻印される華麗なまでの寝技で安保改定を実現させ、歴史にその名を刻んだ。その舞台が熱海だったということも、更に興趣が尽きない。遡ること1881(明治14)年にも、熱海では国会の運命を決定付ける歴史的な会談が行われてもいた。

 伊藤博文、大隈重信、井上馨の3人が集結して国会開設について話しあった、元祖「熱海会議」である。

 ところが、国会設置という日本の歴史上最大のドラマにも関わらず、この熱海会議の記録は一切残っていない。

 もちろん、記録が残っていない会談がそもそもあったかといえるのか、という疑問がある。それは、1881年10月14日付けで福沢諭吉から出された伊藤博文と井上馨の両氏に宛てて送られた手紙にそれが記されているだけなのだ。

 先に岸別邸を「戦後政治の鬼門」と形容したが、それは熱海という土地にも当てはまる。日本の政治史上において、驚くほど節目節目の舞台となってきた。特に戦後における「密室政治」の本丸だったことを考えれば、熱海こそが我々有権者にとっての鬼門だったことになるわけだ。

 話を元に戻そう。先に見た岸信介・大野伴睦の熱海会談だが、その場には児玉誉志夫も同席していた。元毎日新聞記者の大森実は児玉との対談を行った際、この真相を問い詰めている。74年5月25日「事件の真相が聞きたい」という大森の問いかけに、児玉は応える。

「…大野さんが『約束が違う。岸はおれを第一番にするといったじゃないか』というから『それは先生悪いぞ、この条件ができたときは、大野と河野が両輪のようになって岸を守る、盛りたてるという約束じゃなかったか。それを大野先生、あなたがコトを急いで、岸が最後の断末魔のとき、入閣してくれというのに、あなたは入閣されなかったじゃないか』と。…『岸内閣をつぶしたのはあなただ、はっきりいえば。だから、これはあなたがいう権利がないんだ。』」(大森実『戦後秘史』シリーズ・講談社)

 今となっては証言者のないこの権謀術数の宴に〝立ち会った〟のが、熱海市梅園町の旧岸邸だった。

 料理屋として使われている間も、居間に加えて寝室も当時のまま。熱海の急峻な斜面に建つその広大な庭からは、空気の澄んだ冬の朝、正面には熱海湾に浮ぶ初島が望め、右手には熱海城が間近に迫る。そんな景色を眼下に、魑魅魍魎たちが繰り広げた政の舞台がまた1つ、姿を消そうとしている。

 残念ながら「場所が梅園のそばなので、買い取るという可能性もゼロではないが、今のところは買い上げる予定はない」(熱海市緑農水課)とか。  

(無料記事・了)

2017年2月21日

【無料記事】石原慎太郎「長期都政」の秘訣と「小池百合子」の未来

 記者会見を開くのか開かないのか。二転三転した石原慎太郎氏だが、現在の段階では百条委員会の設置が確定し、証人喚問の現実味が強まっている。

 改めて振り返れば、石原都政は何よりも長期政権だった。だが、後継者たる猪瀬直樹氏と、その辞任で〝火消役〟が期待された舛添要一氏も、共に短期政権に終わった。

 この3人の「元都知事」を比較すると、「都政を安定させる方法」が見えてくるのではないかというのが、このインタビュー記事の原点だ。そして、その「方法」が言語化されたなら、未だに支持率が8割近い小池百合子知事の今後を占うこともできるに違いない。

 弊誌は、この石原都政で政策決定過程の中枢を内側から知った、ある人物にインタビューを依頼した。快諾を頂いたが、残念ながら要求される「取材源の秘匿」は極めて高い。名前はX氏としか書けず、抽象化した略歴すらご紹介できないことをお許し頂きたい。

 それではインタビュー記事を開始しよう。

■―――――――――――――――――――― 【写真】新銀行東京公式サイトより

(https://www.sgt.jp/)

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──4回連続で当選し、1999年から2012年まで知事を務めた石原氏に対し、猪瀬、舛添両氏は短命知事に終わりました。改めて、2000年代の都政を、どのようにご覧になっておられますか?

X氏 都政を責任問題で振り返るのではなく、「構造と作用」の力学という視点で見ることが大事です。

 普通なら石原都政は安定感に富み、猪瀬・舛添都政は不安定だったと総括されるはずですが、ここで真逆の視点から疑問を提起してみたいのです。石原、猪瀬、舛添の3人のうち、なぜ石原都政だけが「特別」に安定していたかという問いです。

 猪瀬、舛添両氏の辞任は、むろん本人たちの行動が全ての原因だったことは間違いありません。しかし、私は「なぜ都議会は簡単に彼らを切ることができたのか」という点に着目したいのです。

 都議会は石原都知事のクビを取れなかった。ところが猪瀬、舛添は取れた。この違いは、石原都政と、石原以後の都政で「質」が異なることを示唆します。具体的には、「議会との共犯関係」があったのか、なかったのかということに尽きるだろうと思います。

──共犯関係とは穏やかではありません。具体的には、どのような内容を指すのでしょうか。

X氏 議会との駆け引き、などという抽象的な話ではありません。議会にとって知事は「担ぐに価する神輿」でなければ意味がないんです。与党議員が「今のトップには価値がない」と判断すれば、失職に追い込まれない方が珍しい。そうして辞任に追い込まれた政治家として猪瀬直樹、舛添要一、そして第1次政権での安倍晋三の名を挙げれば、具体例は充分でしょう。いわば議会政治の大前提なんです。

 この点で石原都政には、新銀行東京というカードがありました。石原都政の中期から晩期にかけては、このカードが最大の、決定的な構成素材となりました。石原都政の屋台骨を支えたわけです。

──弊誌は『小池百合子都知事誕生で、舌なめずりして待つ「内田茂」の余裕──小池VS内田の全面戦争では「小池敗北説」が濃厚という「都庁伏魔殿」の恐怖』という記事を掲載しました。
(http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000289/)

 ベテラン都政記者の「短期的にも小池知事は破れ、内田都議が勝つ」という予想は外れてしまいましたが、石原都政が新銀行東京を作ったのは、都議に「利権」を用意したことと同義だとする証言は、非常に興味深いものがありました。

X氏 新銀行東京は結果として破綻し、なおも破綻処理が続いているという、正真正銘の「石原都政における負の遺産」です。しかしながら、中小企業を応援するという錦の御旗のもと、銀行に群がることを都議会与党は許された。これは大きかったですね。

 結果、新銀行東京は与党都議の顔を立てるため、時代錯誤の情実融資が横行しました。それが破綻原因の1つとなったのは間違いありません。それでも与党都議にとっては支持・支援者に恩を売ることを可能にした「大きな甘い汁」だったのです。

 もちろん石原氏は、議会に飴を舐めさせるために新銀行東京を構想したわけではありません。ですが石原知事が、経営破綻に向かいつつあった新銀行東京を「議会の既得権益」さながらに放置し続けたのも一面では真実です。あの時、石原知事と都議会は「共同正犯」の関係だったといえるのではないでしょうか。与党野党を問わずです。

──猪瀬・舛添両氏の都政とは、比較にならないほどの規模と期間、石原都政は公私混同を行っていました。にもかかわらず、都議会は決して石原知事を「抹殺」しなかった理由ですね。

X氏 猪瀬、舛添両知事は、都議会と「共同正犯」レベルまで関係性を構築できませんでした。特に猪瀬氏に顕著で、本人の意図するところとはおそらく異なるでしょうが、いみじくも辞任の際に漏らした「政治家としてはアマチュアだった」との弁は、真実を言い当てていたのかもしれません。

 政治の世界における「議会との良好な関係」の内実は、議員個々の顔が立つカードを切ることであり、それは結局、議員が常に選挙区へ手土産を持参できるよう差配してやることだとも言えるでしょう。

 例えば猪瀬知事が、当時の知事本局を作業部隊として毎週のように都政改革のメニューを探していた頃の話です。それを受けて都営住宅の問題に手を付けようとしたことがありました。老朽化対策というスケールの話ではなく、都営住宅を広大なインフラと見なし、再編、利活用するというプランです。

 しかし私は、これには断固として反対しました。

 なぜか。それは石原都政が唯一、手付かずで、そのままに放置していたのが都営住宅であり、確固たる理由があったのです。政治=組織力のない猪瀬サイドにとって、野党といえども、政党の既得権益を脅かすようなことをすれば、絶対に無血では済みません。

 結果、都営住宅への着手を見送る一方で、東京から発信する地方主権、というメニューで提案が行われたもののひとつが「シンガポール方式」です。私が関わりました。

 残念ながら基軸化は果たせませんでしたが、資源小国であるシンガポールのインフラ整備は、総花的なものではなく、集中投資による一点突破型です。シンガポール経済開発庁の幹部にヒアリングを行い、水道事業の海外展開に感触を得たんです。シンガポールは言うまでもなく資源小国であり、水源を他国にゆだねています。環境技術という意味での水道事業は、シンガポールのみならず、アジアや途上国など経済伸張を迎える各国にとってはもっとも注目される技術であり事業です。東京都の水道技術はその点で世界最高レベルにあります。

 たd、水道事業者の労組である全水労は日本最大最強の呼び声も高く、確固たる一枚岩を誇っています。水道事業のスリム化を謳えば彼らの反発を招き、うまくいかないことは明らかでした。

 そのために水道事業を海外にスピンアウトさせることで、新規事業に結び付けたんです。東京都水道局が水道事業のコンサルタントとなり、途上国に「東京方式」を輸出するというモデルケースです。

 このようにして、猪瀬知事は与党野党そうほうの既得権益である都営住宅問題に抵触することを避けながら、それでも果敢に新規事業を展開していきました。結果、世論の支持を得たのですが、猪瀬氏が400万もの票を集め、「これで議会は俺を切れないだろう」と驕り高ぶったところに、落とし穴があったように思います。

 国会議員だろうが都議だろうが、議員は選挙基盤の確保が最優先です。常に地元へ利益を還元しなければなりません。だからこそ議員のために飴を作り、議員に飴をなめさせ続ける。それが議会と友好的な関係を築く唯一の方法なのです。しかしながら猪瀬氏はむろん、国会議員の経験を持っていた舛添氏でも、それは盲点だったでしょう。

 舛添氏の話なら、知事時代、「都市外交」という機密費さながらの潤沢な税金で豪遊を繰り返しました。やっていることはただ、石原都政の豪遊と五十歩百歩です。それにもかかわらず、野党が、「舛添知事とは一緒には、やっていけない」と見切りを付けたのは、やはり、舛添氏では、世論の風当たりというリスクを承知したうえでも、都議ら自らを立脚させるメリットがリスクを上回らなかったという解釈も可能ではないでしょうか。

──野党が「やっていけない」と見切りをつけるというのは信じられません。野党にとって、知事の問題はチャンスなのではないでしょうか。

X氏 1999年、石原氏が初当選した知事選を思い出して下さい。自民党は明石康氏を擁立しました。石原都政は与党のバックアップによっては誕生していません。そのために都議会与党たる自公は、積極的に石原都政をバックアップしていないんです。

 では、なぜ石原都政は〝長期政権〟たりえたのか。それは石原氏が知事である限り、与党であろうが野党であろうが、都議なら誰でも新銀行東京や、福祉、住宅関係の予算で、潤沢な「地元選挙区への土産」を持って帰ることができたいうことです。都議からすれば、石原知事は「消極的放置」に価するリーダーであり、そうした判断が石原都政の安定を生み出したともいえるのです。

 むろん、そのカードを差配していたのは浜渦武生氏といった、政治家なみに鋭い側近らであったわけです。ちなみに石原都政で副知事だった浜渦武生氏は都議会予算委で、民主党にやらせ質問を行ったことが百条委員会で判明。2005年に辞職へ追い込まれます。その絵を描いたのは〝都議会のドン〟たる内田茂都議だということは、今やテレビのワイドショーでも報道されていますが、皮肉なものだと言わざるを得ません。

 本題に戻りますが、石原都政は都職員に対しては恐怖政治を敷きました。ですが、権益を確保しようとする議会側の動きには、比較的自由を与えていたことは特筆すべきことだと思います。そしてもちろん、猪瀬・舛添両知事にも、そうした動きは見られませんでした。

 両氏とも、政治家としては幼すぎたと言うべきでしょう。都議会にとっては、両知事を支える理由がなかったのです。

──今夏には都議選が控えています。この勢いなら小池新党は圧勝という予測もあります。どうご覧になりますか?

X氏 これまでに見てきたように、議会との「共犯関係」を築けない都知事は、小池知事に限らず、誰でも短命に終わります。

 オール与党となれば、議会対策の必要はありません。トップとしては、極めてやりやすい状況になるのは論を俟ちません。

 だからこそ政治家には、オール与党化こそが、政策実現の最短ルートだと考える人がいます。小池知事も、改革実現の近道だと信じておられるようです。

 それでは石原都政の最晩期はどうだったでしょうか。あの頃の都議会は実質的にオール与党でした。ですが、圧倒的な数の力を有すると、反動も大きいのです。石原都政の安定性を生んだ背景を冷静に振り返れば、学ぶべき「政治手腕」とは、『議会は掌握すれども、制するべからず』だと、これに尽きると言えるのではないでしょうか。

 難しいことに、攻める余地を知事に与えられないと、都議や都議会は立脚点を失ってしまいます。結果、都議は支援者に自らの手腕、技量、何よりも清新さをアピールできません。そして「このトップの元では、自らの足元が揺らいでしまう」と判断すれば、彼らは必ず造反の意志を芽生えさせます。小池知事もまたそこに気づかないのならば、早晩、彼女自身が「守旧派」のレッテルを貼られることになるのではないでしょうか。

(無料記事・了)

2017年2月15日

【無料記事】キットカットを配る「蓮舫代表」の四面楚歌

 日本において、ハロウィーンがバレンタインの市場規模を超えたのは昨年2016年のことだという。

 菓子業界にとっては〝コペルニクス的転回〟かもしれないが、さる女性政治家は、それでもチョコレートを重んじているようだ。政治担当記者が苦笑して言う。

「16年9月に民進党代表に就任した蓮舫さんですよ。代表選に当選すると民進党の関係者が私たちマスコミに、蓮舫さんの写真がプリントされたキットカットを配ったんです」

 ちなみにキットカットは箱入りではなく、1個1個に「バラ売り」されたものが配られたという。

「一応、賄賂じゃないかと冗談で話したんですけどね。まあ、真面目な話をすれば、数十円の単位ですし、政治担当記者といっても東京都の有権者じゃない人間も多いですから問題はないんでしょう。とはいえ、不問に付するというより、民進党が大変な時に、何を浮かれているんだと呆れる気持ちが強かったですよ」

 記者氏の直観は、確かに正しかった。二重国籍問題で味噌を付けたことが「過去」に思えるほど、今の蓮舫代表には様々な「苦難」が襲い掛かっている。文字通り「四面楚歌」という状況なのだ。 ■―――――――――――――――――――― 【写真】蓮舫代表公式サイトより

(https://renho.jp/)

■――――――――――――――――――――

 まずは蓮舫氏ご自身の「去就」が問題になっている。首相を目指すべき党代表として、衆院選挙区への鞍替えが取り沙汰されているのだが、なかなか前に進んでいないのだという。

 確認しておくと、首相は「衆院議員に限る」という規定は存在しない。だが、衆院の解散権を持つことなどから、「衆院議員でないと問題が多い」という見解が基本だとされる。

 産経、日経、読売、時事などは「蓮舫代表、次期衆院選で東京比例1位を検討」と16年10月に報じた。だが「お家騒動」が得意技の民進党だけあり、一部議員からは「党代表が小選挙区制で戦わないのは反則技そのもの。真面目に当選した議員に示しが付かず、混乱の要因になる」と反対論が噴出している。

 とはいえ、東京都内の小選挙区も12区(北区、足立区の一部)を除き、現職と公認内定者で埋まっている。前回落選した海江田万里元代表の1区(千代田区、港区、新宿区)から出馬し、海江田氏を比例で優遇する案も検討されているともいう。だが調整は一筋縄ではいかないようだ。

 そんな中、蓮舫代表サイドは「ウルトラC」を画策していたようだ。関係者が明かす。

「蓮舫代表は、小池百合子・東京都知事の地元だった東京10区(※編集部註:豊島区と練馬区の一部)から出馬すると狙いを定め、水面下で急接近を図っていたんです」

 だが、10区は小池都知事を真っ先に支持した若狭勝・衆院議員が16年10月に補選で当選を果たしている。本当に蓮舫代表が出馬するとなれば「禅譲」が必須となるが、そんなことが可能なのだろうか。

「昨年暮れから小池知事と接触を重ねる中、禅譲の密約が成立した、という情報が漏れ聞こえたこともありました。条件として検討されたのが、都議選で小池知事の本拠地である豊島選挙区、定数3での〝取引〟です」

 豊島選挙区の現状は、自民、公明、共産という顔ぶれだが、小池知事サイドは『小池新党』で2議席、残り1議席は公明という青写真を描いているという。要するに豊島選挙区から自民都議を一掃したいわけだ。

 そこで蓮舫=民進党サイドとしては、民進党候補者の出馬を取り下げ、小池新党の2議席獲得を援護射撃することで小池知事と話を付けるつもりだったようだ。更に関係者は「小池知事と若狭衆院議員との関係は決して良好ではないんです」と明かす。

「知事は、都知事選で応援してくれた『7人の侍』の都議たちが自民党から除名処分を受けたのに、自民党に居座り続ける若狭氏に愛想を尽かしています」

 産経新聞は16年12月、『民進党の蓮舫代表が小池百合子東京都知事に秋波?「小池氏と協力探る」 都議選での連携を模索』
(http://www.sankei.com/politics/news/161211/plt1612110014-n1.html)

との記事を掲載した。11日に蓮舫代表が「小池氏と協力できることがないか探ってみたい」と発言したことを受けてのものだ。

 明けて17年の1月4日にも記者会見で、「(民進は)改革の旗を掲げる仲間を公認している。小池氏とは、見ている方向は同じだ」と更に小池氏へ秋波を送った。

 だが2月3日、小池知事は定例会見で「明確に申し上げると(民進すべてとの連携は)全く考えていない」と発言。蓮舫代表は9日の記者会見で「私から(小池氏との)連携を模索していると、これまで明言をしたことはないと思っている」と苦しい釈明に追い込まれた。

 一体、何があったのか。その謎に挑んだのが『【水内茂幸の野党ウオッチ】「小池台風」が「蓮舫丸」を吹き飛ばす日 「民進、驚くほど弱い」と命綱断たれ』の記事だ。
(http://www.sankei.com/premium/news/170213/prm1702130006-n1.html)

 記事の根幹は、小池知事に対する高い支持率と、民進党へのアレルギーが根強いことが、小池知事サイドの世論調査で明らかになったという点だ。民進党と調整するより、小池新党で自前の候補者を擁立した方が勝率は高いという。

 更に、鉄鋼、造船重機、非鉄、建設などの産業別労組「基幹労連」の組合員を対象にした16年のアンケートで、自民党への支持率が初めて旧民主党を上回っていたことも明らかになった。完璧な「四面楚歌」の状況が続いている。

 苦しい党勢を、蓮舫代表が回復させる可能性は存在するのか。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「今のままでは厳しいでしょう」と指摘する。

「蓮舫さんという政治家は、舞台の書割のようなんです。綺麗な絵だけど、真実味に乏しい。人の心を動かすことができない。表面的な人気はありますから、二重国籍問題で露呈した『危機管理能力が欠如している』という問題点が払拭できていないにもかかわらず、街頭に立つと人は相当に集まるんです。だけど支持率回復には結びつかない。かといって、今の民進党には看板となる政治家は他にいない。変えようにも変えられない。悪循環ですね」

 民進党の人材難が根本の原因ではある。「小泉進次郎カード」を温存できている自民党との決定的な違いだ。伊藤氏は自民党事務局の勤務を経て、98年には民主党の事務局長を務めた。「古巣」のふがいなさに、苦言を呈さざるを得ない。

「歯がゆい思いをしています。今の自民一党だけが強く、野党が多弱という政治構造が問題であることは言うまでもありません。野党第一党の責務は民進党が果たさなければならないのに、内紛に明け暮れている。党としての一体感が欠如しています」

 蓮舫代表の衆院鞍替え問題も、民進党の課題が集約されているという。

「舞台の書割で知名度は高く、一定の人気があるんですから、どこの小選挙区からでも出馬すればいいんですよ。代表として気概を見せるべきタイミングですが、水面下での調整に明け暮れている。結局はリーダーシップに欠けているわけです」

 本当のウルトラCがあるとすれば、「思い切った若返り」だと伊藤氏は指摘する。

「民進党にも、まだ無名だとはいえ、政治家としての実力を蓄えつつある若手議員がいるんです。思い切って彼らに党を任せる。有権者が民進党を嫌うのは、民主党政権のアレルギーが根強いからです。だとすれば、政権交代に関係した議員は退場するのが、最も効果的な刷新策です。それ以外の方法はないと思います」

 蓮舫代表がキットカットを配ったのは、受験生よろしく「きっと勝つ」のダジャレを意識してのことだろう。とはいえ、少なくとも現時点では「きっと負ける」というシナリオ以外は浮かばないのが現状だ。

2017年2月9日

【無料記事】千代田区長選・現職勝利で「石川VS内田」黒い原点

 千代田区長選は小池百合子を〝担いだ〟形となった現職・石川雅己氏の勝利に終わった。

 報道では今のところ、『週刊朝日』(2017年2月17日号)の「豊洲移転きっかけは「小池派区長説」を追う」が唯一、気を吐いた印象だ。

 とはいえ、石川区長が築地市場の移転に絡んでいたことを示し、特に都庁港湾局長時代の辣腕に触れたことは重要だが、その背景には踏み込めてはいない。  

 答えを先に示せば、港湾局長時代の石川氏は、既に内田茂都議の実質的な傀儡だったのだ。記事では、石川が都局長として政策を立案したように書かれているが、当時から都庁では内田都議の後ろ盾がなければ、誰も局長などの幹部ポストには就けなかった。

 つまり石川区長こそ「内田茂チルドレン」の筆頭格なのだが、いまだに正確な報道が行われていない「なぜ石川区長と内田都議は反目したのか」というポイントを詳報してみようと思う。

■―――――――――――――――――――― 【著者】下赤坂三郎 【記事の文字数】2500字 【写真】千代田区公式サイト「区長選挙開票結果」より

(http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kurashi/senkyo/kucho/kihyo.html)

■――――――――――――――――――――

 まずは元千代田区職員に、もつれた糸を解き明かしてもらおう。

「決定的なきっかけは2008年、内田茂さんの落選です。この時、例えばゼネコンや、政治ブローカーといった〝都政関係者〟の間で、『これで内田は終り』という雰囲気が蔓延したんですね。そしてゼネコンなどが内田さんの代りとして注目したのが、01年に千代田区長に当選していた石川雅己さんでした」

 これまでは「内田茂チルドレン」たる千代田区長だったが、周囲が「親離れ」を勧めてきたわけだ。そしてチルドレンたるご本人も、やぶさかではなかったらしい。

「さる都政ブローカーが、赤坂の焼肉屋で都やゼネコンの関係者を招く宴会を、定期的に開いていたんです。そこに石川さんも姿を見せていたんですが、非常に用意周到なんです。公用車の利用記録を残してしまうと、反石川派の区議から追及されるので、赤坂見附の交差点で公用車を降りて、赤坂の繁華街を1人で歩いて来るわけです。ところが、この振舞が内田さんの逆鱗に触れてしまうんです」(同・元千代田区職員)

 内田都議は石川区長のこれまでになかった用心深さを目の当たりにして、何と「ゼネコンとの折衝役という自分の役割を奪い取ろうとしている」と見抜いてしまったのだという。男の勘も、こういう時は恐ろしいものがある。

「この頃は例えば、紀尾井町にある参議院清水谷宿舎の建て替えに焦点が集まっていました。石川区長は内田さんを抜きにして、ゼネコンや不動産業者と直接、ラインを持つようになります。ゼネコン側も歓迎しました。となると内田さんからすれば『俺の力で千代田区長になったくせに』と面白くないのは当然でしょう。庇を貸したら母屋を乗っ取られたわけですから」(同)

 一方、1999年に初当選した石原慎太郎・都知事は、2003年、07年、と再選を重ねていく。そして07年には猪瀬直樹氏が副知事に就任する。  

 ご記憶の方も少なくないだろうが、清水谷宿舎の建て替え問題は「江戸時代から続く貴重な緑地」として反対運動が根強く行われていた。ところが都政トップが石原=猪瀬のコンビとなってからの08年12月、「都心に残る貴重な緑を保護すべき」と計画の断念が表明された。

「石川区長は、改革派を自称する猪瀬直樹・副知事が都政入りすると、陰では蛇蝎のごとく嫌っていました。ところが猪瀬さんと内田さんの対立関係が明らかになると、一転して猪瀬さんを選挙応援に招いたんです。今回も同じですが、石川区長は改革イメージを前面に出すことで当選してきました。とはいえ、ゼネコンと金融機関の強固な支援が当選の最大要因ですから、改革派は見せかけだけですね」

 弊誌は『【無料記事】千代田区長選の「小池VS内田」は真っ赤な嘘』の記事を掲載した。
(http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000442/)

 文中で、

<千代田区長選で真に重要なのは石川氏の選対本部に、1人のキーパーソンが参加していることだ。その名を鈴木重雄氏という>

と書いたが、この点に関して、都政クラブの記者氏に現状の解説をお願いしよう。

「石川区長の万歳三唱で、鈴木氏は真後ろに立っていましたね。関係者の間では、週刊文春の『反・内田茂キャンペーン』のネタ元は猪瀬氏と鈴木氏の2人という見立てが強固なんです。本来であれば情報参謀といった役割ですから、万歳のような表舞台に出るタイプの人じゃないんです。黒子の自覚は充分お持ちのはずで、あれはわざとでしょうね。都庁の幹部たちに『自分は小池百合子と近いぞ』とアピールする狙いだったんでしょう」

 何よりも内田VS石川のバトルが雄弁に物語るが、政治の裏舞台ともなれば、はったりやら化かし合いが横行する。自分を大きく見せるために、ありとあらゆる手を打たなければ生き残れない世界だ。都政クラブの記者氏は「今回の千代田区長選で、本当の勝者は鈴木さんですよ」と苦笑する。

 だが石川区長の素性に詳しいジャーナリストの見立ては、少し違うようだ。

「鈴木さんは旧住専の富士住建の関係者であり、その利害を背負っています。ところが石川区長が持つ千代田区のプロジェクトは巨大すぎてゼネコンしか対応できないんです。そのため、鈴木さんは小池都知事への近さを武器に、都議選への関与を画策していくのではないでしょうか」

 千代田区政に妙味が存在しないのであれば、小池都政に食い込めばいい、というわけだ。確かに金と票を持つ者にとっては、政治家など出入り業者に等しいだろう。

 いずれにしても、石川区長の再選で、千代田区内の開発は一気に加速するに違いない。弊誌は最後に「真冬の怪談」を付け加えて、この稿を終わらせよう。

「利権にどっぷりと漬かっている区議も少なくありませんが、これからは今以上に気を付けるべきでしょう。昨年も重鎮区議の1人が政務調査費の問題で書類送検されましたが、問題は誰が捜査を動かしたかということです」(前出の区長の素性に詳しいジャーナリスト)

 ジャーナリスト氏によると、少なくとも石川区長が特別秘書を使い、区議の政務調査費や不正行為の数々を徹底して調べていたのは事実だという。

 脛に疵を持つ者たちが、必死にバトルロワイヤルを戦っている姿が浮かぶ。それが千代田区政の実情なのだ。

(無料記事・了)

2017年1月31日

【無料記事】千代田区長選の「小池VS内田」は真っ赤な嘘

 この厄介な構図を、品行方正な新聞記事から読み解くのは難しいだろう。

 1月29日に告示された千代田区長選。改革派の小池百合子知事対、守旧派の内田茂の代理戦争と前振りは喧しい。

 だが、その前にまず、品行方正な新聞記事を見習ってみよう。公選法に則った、教科書通りの報道を行っておく。

 任期満了に伴う千代田区長選に立候補したのは、以下の3人だ。

 現職の石川雅己氏(75)、新人で人材開発会社元社員の五十嵐朝青氏(41)、新人で自民党が推薦する外資系証券会社社員の与謝野信氏(41)──という顔ぶれになる。

 それぞれの主張・公約を、3候補者のサイトから紹介する。

 石川氏は現職らしく、「区政16年の施策」と実積を強調。書かれた7項目のうち「次世を担う子供たちを育成する「子育て・教育施策」」がトップだった。

 五十嵐氏は「ぼくたちの千代田。2025ビジョン」と名付けた政策集の中で、1番の番号を付けたのは「劇場型から賛成型の区政へ!」だった。

 与謝野氏は「基本政策」として最初に「日本一、住民が安心安全を感じられるまち 高齢者にやさしい安心して住み続けられるまち」を掲げた。

 これで3候補を均等に紹介したので、本題に進む。

 千代田区長選で真に重要なのは石川氏の選対本部に、1人のキーパーソンが参加していることだ。その名を鈴木重雄氏という。 ■―――――――――――――――――――― 【写真】千代田区公式サイト「ようこそ千代田区へ」より

(https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/gaiyo/yokoso/index.html)

■――――――――――――――――――――

 例えば産経新聞は2012年12月『【始動 猪瀬都政】「国に太いパイプ」特別秘書に鈴木氏』の記事を掲載した。一部を引用させて頂く。

<都は18日、猪瀬直樹知事の意向を受け、知事の日程管理や政策立案への助言などを行う政務担当特別秘書に、都知事選で選対事務局長を務めた鈴木重雄氏(56)を任命した。

 鈴木氏は昭和58年から一時、石原慎太郎氏の事務所に所属していた。

 就任会見で猪瀬知事は任命理由について、「会社に長く勤め、実際にマネジメントをしていて、大阪維新の立ち上げにも協力。国に対して太いパイプを持っている」と話した。石原氏の影響を受けるのではないかとの質問には、「石原さんの秘書をやっていたのは30年前。僕がすべて決めていくので心配なく」と答えた>

 都政担当記者が解説する。

「鈴木さんは、住専問題で取りざたされた富士住建に勤務していました。その後、当時は衆院議員だった石原慎太郎さんの〝パーティー秘書〟となります。つまり集金担当ですね。その後、石原さんが都知事になって、それから猪瀬直樹さんが後継となり、鈴木さんが目付役として猪瀬さんの特別秘書になりました。差配したのは石原知事の特別秘書だった兵藤茂さんです。猪瀬さんは、産経新聞の記者で、都政記者会の〝ドン〟とも呼ばれた石元悠生さんも特別秘書に就けました。鈴木さんと石元さんに期待する役割は、当然ながら似ていたはずです」

 都政記者氏は「似ていた」と綺麗に表現するが、要するに石元、鈴木組には「地獄耳」が期待されていたというわけだ。

 石元氏は新聞記者だから〝本業〟だが、鈴木氏にも同じ役割だった。そのことから氏の〝キャラクター〟が見えてくる。

 現在の猪瀬氏は改革派の旗を掲げ、小池塾の講師となるなど、小池都知事との密接な関係をアピールしている。だが徳洲会事件を忘れていいはずもない。猪瀬氏は例の5000万円を徳洲会に返却したが、その担当が特別秘書の鈴木氏だったのだ。

 鈴木氏は上記のように石原陣営に属している。石原慎太郎氏のためにカネを集め、猪瀬都知事の秘書を経ると、奇妙なことに小池百合子知事の〝同士〟として「クリーンな改革派」というレッテルを与えられるらしい。

 厭味はこのぐらいにして、改めて構図を確認しておこう。

 現職区長である石川氏の陣営は鈴木氏を通して石原=猪瀬という元知事の〝系譜〟を引き継いでいる。これは紛れもない事実だ。

 そして現職の小池都知事が石原慎太郎にケンカを売っているのも事実だ。

 ところが小池知事は「石原氏の臭いが、いまだに強烈」(関係者)だという石川陣営を必死に応援している。選挙に怪談は付き物だが、こんな奇っ怪な構図は珍しい。都政に詳しいジャーナリストが縺れた糸を解きほぐす。

「旧・富士住建の関係者も期待していますよ。鈴木氏が石川氏に食い込むほど、都内の再開発案件に関わる可能性が高まるからです。かつて、猪瀬直樹氏が都知事に当選した時、花束を持って走り回っていたのは、さる広告コンサルタントの副社長でした。社長は神奈川新聞OBですが、狙いは東京オリンピックのPR活動だったことは言うまでもありません」

 では「反石川派」たる自民党サイドこそ正義の味方かといえば、もちろんそんなことはない。というより、今回の千代田区長選では自民党らしからぬお粗末さが目立つ。

「選挙前から、破綻したアーバンコーポレーションによる、紀尾井町の再開発計画をめぐる石川区長の疑惑追及をマスコミに売り込もうと必死だったようです」(関係者)

 ちなみに、この件に関しては、弊誌は既に記事化している。

『【連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第12回「麹町五丁目計画の暗部」』
(http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000370/#more-3075)

 だからこそ弊誌は断言するが、このネタを一般紙やテレビがストレートニュースとして報じられるわけがない。いわゆる「記者クラブ加盟社」は警察や検察が事件化してからスタートするのが基本だからだ。

 結局のところ、石原慎太郎も猪瀬直樹も、内田茂も小池百合子も、基本的には自民党と、その周辺で生きてきたのだ。自民党、特に「保守本流」からの距離は、それぞれによって異なるが、同質性は高い。

 そんな政治家が、敵味方に分かれて戦うわけだ。構図が複雑化するのは当然だと言える。だが「同じ穴の狢」によるバトルであることは間違いなく、要するに内ゲバなのだ。

 かつての同士が刃を交える。文字面だけを見れば悲劇性も感じるが、今回は単なる喜劇だろう。被害者が存在するとすれば、こんな茶番に付き合わされる千代田区民に違いない。

(無料記事・了)

2017年1月30日

【無料記事】翁長県政「IR反対」は「建前」で「宮古カジノ構想」推進

 現在の安倍政権と沖縄県政が、蜜月の関係にあると考えている人は誰もいない。

 報道を丁寧にチェックしている方なら、「全面戦争」というわけではないことも知っておられるだろうが、基本的には対立関係と言っていいだろう。

 ところで2016年末にIR(統合型リゾート)推進法が可決され、大きな話題となった。いわゆるカジノ法案だが、沖縄でも仲井真弘多・前知事の時には誘致に強い意欲を示し、有力候補地の1つに挙げる声も強かったのをご記憶だろうか。

 例えば14年3月の県議会で「県民合意を図るのは後で十分間に合う。早く手を挙げておかないと、間に合わない」と発言しているのだ。内閣府幹部が振り返る。

「経済産業省出身の仲井真氏は、退官後に沖縄電力に入り、会長にまで上り詰めてから地元財界に担がれて知事となりました。例えば琉球大学教授から知事となった大田昌秀氏とは違い、カネにまつわる話は目鼻が利き、決定も早いんです」

 そんな〝評価〟の高い知事が旗振り役を務めていたのだ。当時の亀井静香金融相がカジノ特区構想に賛意を示したのも、その直後のことだった。

 だが現在の翁長雄志知事となってから、IR候補地から沖縄の名は消えた。翁長知事は16年7月の県議会で「カジノ誘致は考えていない」と言明している。

 とはいえ、表面的な動きだけを見ても、沖縄の本音は分からない。本音と建前を巧みに使い分け、「沖縄ファースト」を実現してきた実積を持っている。

 翁長知事の側近は「実のところ翁長県政はカジノ誘致に反対どころか、何としてでも候補地でいたいと考えているんですよ」と明かす。 ■―――――――――――――――――――― 【写真】『宮古島市 ふるさと納税寄付金 謝礼品カタログ』より

(http://www.miyakojima-furusato.com/wp/wp-content/themes/miyakojima-furusato-tax-payment/res/pdf/furusato_miyako_tan.pdf)

■――――――――――――――――――――

「基地問題で揉めている間のドサクサで、一気に持ってくるのが一番いいんです。だまし討ちですって? そんなことありませんよ。カネが落ちれば、沖縄で嫌な顔をする奴なんて、誰もいませんから」

 何と翁長知事の「側近」が、基地問題をカジノ誘致の〝カムフラージュ〟に使うというのだから驚きだ。

 しかし、それも当然かもしれない。カジノ誘致に成功すれば、周辺のリゾート開発も進展し、地価高騰で沖縄経済は沸き立つ。翁長知事が1期で辞めるつもりなら話は別だが、再選を目指すためには地元財界の支援は不可欠だ。

 翁長知事のIR反対という発言は建前であり、本音は積極誘致ということになる。とは言うものの、「カジノ誘致は考えていない」と言明したのは事実だ。どうやって整合性を図るつもりなのだろうか。さる県庁幹部が明かす。

「沖縄本島へのカジノ誘致となると、反対運動に負けてしまいます。もう既に、基地反対派が新しい運動の足掛りにする気配も漂っているほどです。また行政としても、もし本島にカジノがオープンするとなると、外国人客のセキュリティ問題など課題が山積して、収拾がつかないでしょう。そこで知事周辺に持ちかけられているのが、宮古島を中心とする離島IR構想です」

 宮古島には国際線が離発着できる空港も整備されており、観光客を受け入れる基幹インフラは整っている。反対運動が起きたとしても、本島の比ではない。そして何よりも、キーパーソンとしての〝活躍〟が期待されているのが下地幹郎・衆院議員(日本維新の会・沖縄1区)だという。

「宮古島カジノとなると、目玉は中国客。これも船のターミナルは大型のものがあるから大丈夫だ。後はIRの名に相応しいカジノ用ホテルと、周辺宿泊施設の建設だけど、カジノができるとなれば、建設需要で島は沸く。何より宮古島は下地幹郎さんの地元だからね。島をまとめてくれるよ」(宮古島の観光業者)

 宮古島は沖縄県内でも経済基盤の弱い島とされる。そのため島民は昔から、本島への出稼ぎを余儀なくされてきた。だからこそ、今でも観光資源が生命線。IR誘致は願ったり叶ったりというのが島の本音だという。

 だが、反対派に攻撃される〝弱点〟もある。  

 沖縄は多重債務者の潜在率で日本全体でもトップクラスだ。そのために、自殺者やうつ病患者が多いことでも知られる。その多重債務の原因となっているのが、パチンコだという。

「パチンコでカネを落とさせるために、業者は店舗のすぐそばにノンバンクのATMコーナーを設置している。そこで借りたカネでパチンコへという循環で、みな多重債務に陥っていって、ギャンブル漬けにされてしまう」(前出・宮古島の観光業者)

 またパチンコ業者も、カジノ反対運動に乗り出すシナリオも考えられるという。「カジノが来たらみな、パチンコからカジノに移ってしまう」というのが理由だ。

 とまあ、〝爆弾〟を抱えてはいるのだが、少なくとも沖縄県の〝事情通〟やら〝県政関係者〟にとって、宮古カジノ構想にはゴーサインが出たというのが共通認識なのだ。

 宮古島でも、こんな話が囁かれているのだという。

「下地さんに旗を振らせて、宮古島にカジノを作らせる。そうなれば、下地家の『大米建設』が全面的に請け負うから、何としてでも一枚噛むさ」  

 さすが沖縄。本土政府との長い交渉の経験はダテではない。

(無料記事・了)

2017年1月26日

【無料記事】千代田区長選「自民惨敗」で「自民都議」大量脱走

 小池劇場の加速が止まらない──。

 1月23日、小池百合子東京都知事の政治塾を運営する「都民ファーストの会」が地域政党として活動を開始。今夏の都議選にまず4人を公認することとした。

 今後、小池サイドが候補者を続々と擁立していくことが可能なら、都議選は「ドン内田茂率いる自民党VS小池」となっていくのは必至。その前哨戦と位置付けられているのが、ご存じの通り、29日に告示される千代田区長選だ。

■―――――――――――――――――――― 【写真】五十嵐朝青氏サイトより

(http://asaoigarashi.com/)

■――――――――――――――――――――

 22日には、小池知事が現職の石川雅己・千代田区長の決起集会に参加した。

「この戦いを勝ち抜くことが、東京大改革を進める一歩になる」

 そう高らかに宣言し、準備は万端だ。石川陣営の関係者も興奮を隠せないようだ。

「すでに、小池さんとのツーショットポスターを貼っています。次の当選で5選なので、多選批判も出るかもしれませんが、それを凌駕する人気が小池さんにはありますからね」

 一方、頭を抱えるのが自民党東京都連だ。都連関係者が言う。

「内田さんが擁立しようした中央大学の佐々木信夫教授に出馬を断られました。結果的に、与謝野馨元財務相のおい、信氏を擁立することになったわけです。しかし、実のところ当初は楽観論もあったのです。というのも、石川区長は多選批判を受けるだろうし、彼は41歳と若い。それなりの票をとれると思ったのですが……」

 誤算だったのは、第三の男が立候補を表明したからだという。

「元コンサルタント会社の五十嵐朝青候補ですよ。彼も同じ41歳。しかも、信さんよりもイケメンなんです。お互い票を食い合うことになるでしょう。しかも、公明党が今回は支援してくれませんからね」

 そうなのだ。今回の区長選で公明党はダンマリを決め込んでいる。公明党関係者が重い口を開く。

「都議会でも連立を解消しましたからね。ただ、理由はそれだけではないんですよ。実は昨年末、うちの党が情勢調査を行ったのです。すると、現職区長が2万に対し、自民党候補は5000という結果でした。『夕刊フジ』が同じ数字を「某政党の調査」と書いていましたが、あれはウチですよ。当時は、まだ与謝野信氏の擁立は決まっていませんでしたが、こんな数字が出れば、誰であっても支援できるはずがありません。早々と撤退したというわけですよ。もちろん、国政では連立を組んでいますが、公明党本部も都連が言うことを聞かなくて、困っているのです」

 今回の区長選でも、孤立を深めたドン内田都議の自民党は惨敗──との見方が優勢になっている。ではその結果何が起きるのか。都政担当記者が言う。

「完敗となれば、内田さんの求心力はますます低下します。すでに3人の都議が会派を離脱。中央区選出の立石晴康都議も自民党を離れようとしています。おそらく、大量離脱のタイミングは、来年度予算が決まる3月より前。予算決定の際には、会派として賛成か反対かを表明せねばなりません。都議団の意思表示を迫られるわけですから、会派にいたくない人はその前に脱藩するということになる。空中分解ですよ。そのきっかけになるのが千代田区長選の結果でしょうね」

 人口に膾炙している諺に「沈む船から逃げること鼠の如し」がある。政治家は「所詮、落ちれば唯の人」には違いない。当選するためには手段は選ばないのが普通だとは言える。

 とは言うものの、都議としての見識もネズミレベルとなると、かなり困ったことになる。更に「合従連衡」や「野合」は相当数の有権者が嫌いだということも、関係者は肝に命じるべきだろう。

(無料記事・了)

2017年1月23日

千代田区長選で「石川雅己区長」の「黒い人脈」再噴出

 弊誌はジャーナリストの田中広美氏の『哀しき総会屋・小池隆一』を連載している。

 小池隆一氏といえば、あの「総会屋利益供与事件」(1997年)の主役である。野村証券、第一勧業銀行という一流企業から引き出したカネは「100億以上」とも「270億円」とも言われる。

 そして田中氏の連載は、都庁・都議会の〝闇〟にも焦点を合わせている。興味のある方は、ぜひ第1回を拝読頂きたい。

『【初回完全無料】『哀しき総会屋・小池隆一』第1回「漂着」』
(http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000232/)

 この連載で、石川雅己区長も既に登場している。そのため弊誌は千代田区長選が近付いてきたため、田中氏に特別原稿を依頼した。田中氏の厚い取材から紡がれる「千代田区長選の真相」は、多くの人が驚くに違いない。

 マスコミの小池VS内田という図式が馬鹿らしく思えるほど、様々な魑魅魍魎が跋扈しており、千代田区長も全くの「ブラック政治家」なのだから。

■田中広美氏・特別原稿

 小池百合子・東京都知事VS自民党守旧派の代理戦争となっている千代田区長選。だが都知事にとって、現職の石川雅己・区長との〝共闘〟は本意ではなく、実は頭を痛めている。

 石川区長は2017年1月8日、5選を目指して無所属で立候補することと、小池知事の支援を受けることを明らかにした。

 自ら都庁へ出向き、小池知事の応援を取りつけたと言い、知事との2ショットが映るポスターを持参。知事について「応援のアクションを期待しているし、多分、応援してもらえると思う」とアピールした。

 だが、前々回まで支援を受けていた内田茂・都議について記者団が問うと、その口は相当に重かった。「内田氏と議論したことはないが、既成概念、既得権という意味で楔を打たれるのは嫌なのかも分かりません」と全面的な批判は差し控えた。

 こうしてマスコミが「代理戦争」と夢中で報じるわけだが、石川区長も決してクリーンな政治家ではない。都庁担当記者は知って無視したか、あるいは本当に把握できなかったのか、2016年の都知事選に前後して、千代田区庁舎(東京都千代田区九段南)に右翼が街宣をかけたことは全く報じられていない。

 右翼がやり玉に挙げたのは、石川区長の「黒い人脈」だ。 ■―――――――――――――――――――― 【筆者】田中広美(ジャーナリスト) 【記事の文字数】2700字 【写真】千代田区公式サイト『2月5日は千代田区長選挙の投票日です』より

(https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kurashi/senkyo/kucho/tohyobi.html)

■――――――――――――――――――――

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