糸山英太郎 | イエロージャーナル

2016年10月27日

【無料連載】『哀しき総会屋・小池隆一』第11回「騙された小池」

 最後の総会屋・小池隆一は、コンサルタントを称する山田慶一に騙された。

 その事実だけでも驚愕だが、詐欺を仕掛けたタイミングが常軌を逸している。山田は小池から金を借りており、その返済についての覚書を作成しているその最中、更に山田は小池に金の無心を行ったのだ。

 山田は小池に「麹町五丁目計画」と抱きあわせて「渋谷区代々木三丁目計画」なるものを持ち出したことがあった。都内の開発プロジェクトを軒並み舐めつくさんばかりの勢いだが、借りた金の返済について覚書を交わそうという弁護士事務所。その廊下で山田は小池に対して、以下のような説明を行った。

■―――――――――――――――――――― 【著者】田中広美(ジャーナリスト) 【写真】文化学園大学公式サイト「学内施設」より

(http://bwu.bunka.ac.jp/campus-life/facility.php)

■――――――――――――――――――――

「文化学園大学の大沼理事長の税金を自分が支払ってあげないといけないのだが、それが今日明日中でないと困ったことになる。もし、これができないと、大沼理事長、文化学園大学の方から、この開発プロジェクトから外されてしまうかも知れない。そうなると、こうして覚書を交わしても支払いが難しくなるかもしれない」

 山田の説明によると「麹町五丁目計画」は約3000億円という大規模開発プロジェクトであり、3〜5%のコンサルタント料を得る契約書は交わしているという。しかも既に1億5000万円の着手金は貰っており、このプロジェクトが潰れることはない。

 3000億円の3%なら90億円、5%では150億円。早ければ9月末、遅くとも暮れまでには動く。一度に全額は入らないだろうが、進捗状況に応じて、それなりのコンサルタント料が手に入る……。そして山田は更に言葉を継いでいく。

「今月締結する覚書の支払いは間違いなく、問題なく返済、支払いできるのだけれど、こっちの代々木三丁目の方は分かるでしょう……? お義父さんの税金を支払ってやるぐらいのサービスをしておかないと、山田は何も出来ない奴だとなると、この文化学園大学の所有している土地と、大蔵省の所有する土地をあわせて開発する案件から外されれば、いろんなゼネコンからの信用もなくなりかねないので……」

 繰り返すが、自身の借金を返済する覚書をまとめる場所で、山田は小池に懇願したのだ。

「何とか1000万円を今日明日中に都合してもらえませんか? 一応返済は1、2か月後ということでお願いします」

 法律事務所の廊下は、実に静謐な空間だった。山田は小声で訴える。小池が仰天したのは無理もない。覚書を作りに来たら、カネの無心をされるなど、さすがに経験したこともない。しかも山田には既に多額のカネを貸していたのだ。

 2001年2月14日付で5000万円。同年10月12日付で2000万円。合計7000万円にのぼる資金援助に対して、山田の返済は未だに1銭もなかった。ようやく支払いの覚書を結ぼうという場所で、更に1000万円の要求である。

 後に分かったことだが、こうしたプロジェクトに関して山田が「コンサル契約を結んでいる」と説明していたアーバンコーポレーションが東京地裁に民事再生を申請して破綻したのは2008年8月。小池が山田と覚書を結んだのは2009年3月31日付けだ。

 つまり既に潰れていたアーバン社と「麹町五丁目計画」に関してコンサル料を得られるとし、プロジェクトは間もなく始まるのだと強弁していたのだ。恐るべき厚顔だが、小池が山田に貸し付けた7000万円は自分の金ではなかった。別に調達してくれた人物がいたのだが、その人物は山田のことを疑っていた。

「山田さんに貸した7000万円は東郷神社のプロジェクト開発資金に使うという目的だったはずなのに、使われた様子がまったくないのはおかしい。山田さんは大成建設に預けているというが、ならば大成建設の伊藤専務から返してもらって、私が貸した金は返してほしい」

 つまり小池は責められていたのだ。

「伊藤専務から返してもらって、こちらに返済してくれと話したら、預けている伊藤専務が病気で入院したので、今は話ができないのでちょっと待って下さいと言われたよ」

 当然ながら、調達者の疑念は膨らむ一方だ。

「入院話以降は、色々なプロジェクト、開発案件、工事受注話が、報告としてというか、言い訳としてというか、とにかく借りている金は返すから、ちょっと待ってほしいという話にしかならない。このプロジェクトが、この案件がまとまれば金が入る、それまで待ってほしいと言うんだが、真実なのか嘘なのか、全く判断がつかない」

 山田は新たな借り入れを行うたび、あるいは返済を迫られるたび、今関わっていると言うプロジェクトについての書類をちらちらと見せはするものの、いざ関係者が具体的に検討しようとすると、守秘義務を楯にコピーすることを拒絶するのだった。

 それでも、と小池は考えた。山田は確かに文化学園大学、旧文化服装学園の理事長たる大沼淳の娘との間に子供をもうけている。山田にとって理事長は岳父だ。身内までも欺罔することはないだろう……。

 小池は、そんな人間関係を顧慮したうえで、大沼が経営する大学所有地の開発案件ならば、山田が多くを語りながらも、1つとして実現しなかった他の案件とは異なり、それは現実化しうるのだろうと考えた。小池は再び、山田の請願に応じた。すぐに手配した。振込記録のみが手元に残っている。やはり2009年3月31日、弁護士事務所の廊下で懇請されたその日、である。

<三井住友銀行麹町支店 環境計画研究会 山田慶一 普通口座0232013>

 もちろん現在まで、小池のもとに山田から返済された金は1円1銭さえない。

「まったく義理も人情も正義も道理もない。これでは木の葉が沈んで、石が浮いている状態で、道理が通りません」

 小池は嘆いた。それにしても山田という男は誰であっても相手を籠絡し、最後は馬鹿にしたように放り捨てる。小池が騙された一部始終も正直なところ、現実のものだと受け止めるのはかなり難しい。とりわけ借入金の返済の根拠として、既に破綻していた会社の名前を持ち出したり、そのコンサルタント案件やプロジェクトがすぐに動き出すと明言したりした上で、更に借金を頼んでくるのだ。常人の発想は越えてしまっているし、詐欺師としても珍しい類型だろう。

 小池は「紛れもない詐欺であり、詐欺以外ではない」と憤る。これまで小池の人生で企業社会はもちろん、垣間見た任侠世界の人間との付き合いでも、ここまで明々白々な欺きに直面したことはなかった。それを知ってか知らずか、山田は小池と知人らを、まさに手玉に取ったのである。

 なお、山田が口にした「東郷神社の開発プロジェクト」とは東京・原宿の東郷神社周辺の開発計画を指すわけだが、そこを山田が取り仕切ったという形跡はない。神社の開発は既に工事も終わり、プロジェクトと称するものの名残など全くない。極めて綺麗なのだ。確かに有象無象の人間たちが出入りを重ね、警視庁も動向を注視した時期もあったが、結局何も起きなかったのだ。

 これまでにも他人の看板で自身の信用を創ることに長けた山田が、その人生の中で「日本における日本人」としての信頼を得ることに成功したのが、小池を騙した文化服装学院という看板だったのは確かだろう。

 山田慶一はまさに、日本最大規模の私学といえる文化服装学院=文化学園大学という「力」を、理事長の娘との間に婚姻関係を結んだことで、手に入れることができた。小池が「大沼理事長のために使う目的で金を貸してくれというからには、絶対に不義理しないだろう」と信じたのも無理はなかった。

 しかしながら山田が小声で無心した額は「1000万円」である。山田は「大沼理事長の税金立て替え費用」と説明したが、それは限りなく怪しい。そもそも高額納税者であるはずの文化服装学園の理事長の税金が「1000万円」で済むはずもない。仮に1000万円だったとしても、その支払いに滞る状況は想像しにくい。

 1人の老夫が書き送った次の内容証明郵便を読み、複雑な心境になった。「お言付け」と題されたそこに記されているのは、その人物が至った現在の心労に加え、その内容が再び孕む現実の仕組みに唖然とさせられたからでもあった。

<『お言付け』
 糸山英太郎氏が学長であり、経営者であった神奈川県の湘南工科大学の売却依頼と、合わせて糸山英太郎氏が買い占めていた大量の日本航空の株式の売却依頼という2つの相談・解決を、湘南工科大学と北海道の東日本学園大学という共に糸山英太郎氏が経営をしていた2つの大学の理事を務めていた私(石井孝之)と故小林秀男元理事の二人が、糸山英太郎氏から相談・依頼を受けたのが平成十二年の四月~五月だったかと記憶していいます。

 糸山英太郎氏から2つの売却の依頼を受け、買い手を探すために極秘で小池隆一さんに相談したところ、小池さんより貴殿(山田慶一)を紹介されました。

 山田慶一氏については、平成九年三月十九日発行の写真週刊誌フォーカスの8ページから9ページの談合の世界で「天皇」とも呼ばれていた平島栄の公正取引委員会への談合資料持ち込み暴露事件での暗躍話の噂を聞いておりましたし、平成十年十二月五日号の週刊東洋経済の五四ページから五六ページの「文化服装学院」を揺るがす大沼一族の〝利権ビジネス〟。五七ページから五九ページの建設業界が瞠目する「山田慶一」という男という記事を読んで、名前だけは聞いていた人物でしたが、実際に小池さんの紹介でお会いしたのは初めてでございました。

 小池さんの仲介で、山田慶一氏に湘南工科大学の売却と大量の日本航空株式会社の株式(確か七千万株程だったかと記憶しておりますが)の売却依頼・買い主探しの依頼を相談いたしました。

 その結果、山田慶一氏の義父である大沼淳氏を文化大学の理事長室にお訪ね致しました。

 山田慶一氏と大沼淳文化大学理事長と私石井孝之氏と小林秀男と四人で相談を致しました。

 その結果の一つとして、東京第一法律事務所の内野経一郎弁護士が湘南工科大学の理事に就任し(平成十二年五月二十日就任~任期途中の平成十三年五月二十九日退任)、その立場で、理事会にも出席し、帳簿等々も精査し、どのような手法・どのような条件で売買することができるものか検討することになりました。

 そうした会合の際の山田慶一氏の大沼淳氏に対する言動が「おとうさん」「おとうさん」と親密な親子関係を感じさせ、私はすっかり山田慶一氏を信用してしまいました>

 糸山英太郎は2012年、この湘南工科大学の理事長に就任している。また、文中の「文化大学」とは文化学園大学である。

 山田が政界に対する力と信用を得たのは、前述のように、佐藤昭の〝門番〟よろしく振る舞う中でだったが、ここにも記されるように、名門の文化服装学園の創設者である大沼淳を岳父としたことが、〝日本人〟としての大きな信頼を纏うようになっていく。

 あの文化服装学院の大沼淳を「おとうさん」と呼ぶことで、そこに大きな信頼の基礎を築いたのであった。この大沼淳という存在は、大沼本人の意図を別としても、佐藤昭同様に、この稀代のロビイストの日本社会での信頼を決定的に〝輔弼〟する、あるいは車の両輪の片軸を担うものであった。

<私は長年、新宿で事業を営み、住居も構えておりましたので、文化服装学園・文化大学のことは十分に承知しており、大沼理事長を陰ながら尊敬いたしておりましたから、その大沼理事長の娘婿であるということですから、すっかり信用してしまいました。

 結論から言えば、この湘南工科大学の売買話も日本航空の株式の大量売買話も不調に終わりました。

 しかし、その後、私(石井孝之)は小池さんを通じて山田慶一氏から融資を申し込まれましたが、私(石井孝之)は小池さんにお貸しするから、小池さんより山田慶一氏に貸してやって下さい。

 そして、山田慶一氏が小池さんに返済を実行した時、それをそっくり私(石井孝之)に返済してくれれば結構です。という条件で平成十三年二月四日金五千万円を小池さんと私(石井孝之)の二人で、山田慶一氏の千代田区一番町に所在する日交一番町ビル八階の環境計画研究会という山田慶一氏の事務所に現金五千万円をお届けに行きました。

 お金を貸す方の私が借りる方の山田慶一氏の事務所に現金をお届けするのも変な話で、本来であれば山田慶一氏が私(石井孝之)の事務所の方へ借用書を持って借りに来るべきであろうと思いましたが、小池さんの顔が立つのであればと、小池さんと一緒に出向いたしだいでございます。

 その際の山田慶一氏からの説明では、渋谷区原宿の「東郷神社の案件で、プロジェクト関係者等に対する前捌き金として、使用するもので」「大成建設の伊藤専務からの依頼で協力するものだ」「この開発プロジェクトの利益は大きいので、小池さんには十分な配当をしますので、石井さんと二人で分けて下さい」などと、その融資金の使途の説明を受けました。

 その後、追加の融資を申し込まれ、平成十三年十月十二日に金二千万円を前回同様山田慶一氏の事務所に届けました。

 しかし、結果的には、この東郷神社の案件について、山田慶一氏は何も役割を果たした様子が無く、結局は騙されたものと考えております。

 融資金合計金七千万円の返済を再三再四、山田慶一氏に催促をし、その都度、私(石井孝之)の事務所に来られて次から次へと開発プロジェクトの案件を説明し「この案件で報酬が入るので、必ず返済するから、もう少し待って欲しい」とかコンサルタント契約を締結したとか、業務委託契約を結んだ等々と十指に余り、十五指も二十指もの説明を受けましたが、結局未だに一銭の返済も実行されておりません。

 小池さんの事はもとより、山田慶一氏が文化大学理事長の大沼淳氏を義父にもち信頼できると思い、お付き合いをしましたが、段々と、山田慶一氏に対し不信感が募り、私(石井孝之)の社員の榎本恵美子と一緒に「麹町五丁目計画地」と「渋谷区代々木三丁目計画地」を何回も見に行った事を小池さんに話したところ、小池さんは、それを山田慶一氏に話し、山田慶一氏は怒髪天を突く勢いで「そのような事をしたら文化大学の方に知られ計画は中止になってしまうので二度と、調査する等ということは一切やめて欲しい」と小池さんの方に電話で申し入れがあったと聞き、今でも全く理解できません>

 山田はこれまでも、自身が小耳にはさんだ数多くの都内のプロジェクトでも「自分がやっている」と吹聴していた。

 しかし誰もが「高度に閉じられた世界での、山田ならではの話」と信じ、遠慮し、山田が吹聴する話を深く検証することをためらってきた。あるいは、山田の話を検証できる人間は決して山田に近づかないか、山田の存在感は一定程度認めつつも、敬して遠ざけ、眺めているに過ぎなかった。

 小池や、この「お言付け」の石井孝之など、他人の尊厳と自身の尊厳に関して、いささか真面目すぎる人間ほど、山田は得意としてきたきらいがある。世の中には自らを大きく見せるため、こけおどしの大きな事業話を振り回す輩は、起業家にも企業内にも溢れているが、やはり山田の特異なところは必ずといっていいほど、そうした与太話をネタにして相手からカネを引っ張ってしまうのだ。

 貸した方の〝弱点〟としては、もちろん人間関係の義理がある。しかしバブル崩壊後、90年代以降の日本社会では銀行や証券の利回りが限りなくゼロに近い。山田が言うように「プロジェクトが成功すれば、それなりの色を付けて貸した金が返ってくる」のであれば、それは決して悪い話ではない。いや、それどころか、大いに魅力ある話に映ってしまったとしてもおかしくはない。そこに山田は付け込むのだ。

<私(石井孝之)の融資した金七千万円は何に使ったか?という問いに対して、山田慶一氏は「大成建設の伊藤専務に三億円を預けたままになっている。金七千万円は、その中に含まれています」という答えをするので、「それでは伊藤専務に話して、金七千万円だけでも返して貰って、私(石井孝之)に返済して欲しい」と話すと、その後、伊藤専務は病気入院で亡くなった事が分かり、伊藤専務の話はうやむやになってしまいました>

 伊藤専務こと、大成建設の伊藤美喜男は2007年8月9日、すい臓がんのため、死去する。まさに死人に口なし、ではないか。

<こうしてノラリクラリとはぐらかされて、私は困り果てたあげく、平成二十二年に新宿区左門町に所在する四谷弁護士ビル三〇五号室の権藤法律事務所の権藤世寧弁護士に相談し、何とか返済してもらう手立てをと正式に権藤先生に依頼しました。

 一部始終、権藤先生に話したところ、「石井さん、これは詐欺だよ」と言われました。

 書類を作成し、合意しても、山田慶一氏に騙されたという気持ちです。

 小池さんも山田慶一氏にすっかり騙されたようで、小池さんの奥様からも送金させて借入していた事は、いかにも小池さんの人の良さも伺えます。

 何故、この時期に、このようなお願いをするのかと思われるかも知れませんが、私(石井孝之)も体力に自信が無く、大病を患い入退院を繰り返しており、家族の事が思い遣られてなりません。

 小池さんも承知と思いますが、金七千万円の中には榎本恵美子氏のお金も入っております。

 このまま、うやむやになってしまうのが、山田慶一氏に対して怒りでいっぱいです>

 2012年9月12日付のこの内容証明郵便に対して、もちろん、山田からの返答はない。
(第12回につづく)