やはり、エディー・ジョーンズが日本を去ってしまった。 信じられない、という声は、ごく小さなもので終わったようだ。何と世間は、エディー氏の離日を早くも忘れようとしている。どこか〝昭和〟の匂いがする五郎丸フィーバーに、いまだに夢中だ。
だが、それでよかったのかもしれない。名将を失ったことを「エディロス」などと表現されたらたまったものではない。
ラグビー・ワールドカップで、過去に日本は1勝しかできなかった。 正確には1勝21敗2引分。エディー氏は、そんな弱小チームを率いて3勝1敗という成績を収めた。奇跡といって過言ではない。 おまけに何度も繰り返し言及されていることだが、撃破したチームが凄い。 以前ならサモアやアメリカに勝利することでも「大」が3つぐらい並ぶ大金星だったはずだ。それが今回、あの南アフリカも破ってしまった。「これまで1勝」のチームが「世界一を2回」のチームを凌駕したのだ。 ご存じの通り、南ア戦は荒唐無稽なマンガでさえ、裸足で逃げだすほど劇的なものだった。小説『ハリー・ポッター』シリーズの作者、J・K・ローリング氏が「こんな話は書けない」とツイッターに記し、それが全世界にニュースとして配信された。 つまり「書けない」ぐらいに信じられず、「書けない」ぐらい魂を揺さぶられる、桁違いの逆転劇だったのだ。
日本ではマイナーなラグビーファンは当然だが、テレビ中継の早明戦ですら見たことのなかった人々でも熱狂してしまうほどのインパクトがあった。
■〝円満退社〟を強調した日本メディアの欺瞞 エディー氏は10月31日付で日本代表HCを退任した。 翌11月1日から世界最高峰リーグ・スーパーラグビーのストーマーズ(南アフリカ)のHCに就任。16日が同チームで最初の練習セッションとなる。来年5月14日には、シンガポールで日本チームとして始めてスーパーラグビーに参加するサンウルブズとの対戦も決まっている。 11月4日、羽田空港でエディー氏は笑顔を浮かべて手を振った。非常に大人の対応だったと言っていいだろう。 ここで、主な新聞各紙の報道を見てみよう。見出しと発言を切り抜きしてみた。
あくまで離日だけをニュースとして報じたものの中から選んでいる。例えば五郎丸氏と合わせて記事にしたようなものは除外した。
▽朝日新聞『さらば、エディ 南アへ出発「私のミッションは完了」』
<日本のラグビーに誇りを取り戻せた。旅立ちの時ではあるが、そういう意味では悲しい思いはない。私のミッションは完了した。(スーパーリーグのレッズ(オーストラリア)に加入する五郎丸氏について)彼の夢を追いかけていて、非常にうれしく思う。彼にとって素晴らしいことだし、それも日本ラグビーが成し遂げたことのひとつだ>
▽読売新聞『さよならエディー 南アへ出発』
<日本に新しい歴史をつくることができた。お別れするのは寂しい。(五郎丸の挑戦は)うれしい。SRに日本選手が増えるのは素晴らしいこと>
▽毎日新聞『戦い終え…別れ、そして旅立ち エディー前HCが離日』
<日本のラグビーに新しい歴史を作り、誇りを取り戻せた。自分のミッションは完了した。今後数年でどう発展していくかを見るのが楽しみ。(五郎丸氏について)彼は彼の夢を追いかけていると思う。(スーパーラグビーに参戦する日本チームの)サンウルブズにとっていいニュースではないが、個人的にはうれしく思う>
▽産経新聞『ジョーンズ氏離日「ミッション完了」 ラグビー』
<日本のラグビーに新しい歴史を作り誇りを取り戻せた。自分のミッションは完了した。今後どう発展していくかを見るのが楽しみ。(後任のHCには、選手データを)望まれるなら喜んで共有したい>
▽共同通信『ラグビーのジョーンズHCが離日「日本の発展楽しみ」』
<旅立ちの寂しさはあるが、新たな歴史をつくり、仕事はやり遂げた。今後日本ラグビーがどう発展するか楽しみ。(南アフリカを破ったことに)心の持ちようが重要だと学んだ。思った以上のパフォーマンスだった。(2013年にウェールズに勝ったテストマッチを一番の思い出に挙げ)世界トップ10になれるという自信がチームに生まれ、ファンともその思いを共有できた。(最後に日本語で)じゃあまたね>
▽日刊スポーツ『エディーがサヨナラ』
<旅立ちではあるが、仕事はやり遂げた。世界のトップ10に入った。自分のミッションは完了した。(ウェールズ戦の勝利を挙げ)あの試合でチームの自信が変わった。世界でトップ10になれるという思いができた。日本ラグビーが変わったと最初に思えた試合だ。(ストーマーズで目指すラグビーは)ウイニング・ラグビー。今後数年間、日本がどう発展していくのかを見るのが楽しみです。(日本語で)じゃあ、また>
エディと書く朝日。意外にそっけない読売。見だしやコメント量の違い、最後の日本語をどう表記するかなど、各社の差異は非常に面白い。 とはいえ、「なぜ名将のエディーが日本を去るのか」と疑問を投げかけたり、無念さを滲ませたりした記事は皆無。何よりも全く退任の理由や背景を解説していないのだ。
協会もマスコミも一丸となって〝円満退社〟を演出したのかもしれない。だが、それが事実なら大問題だ。エディー氏が日本を去った理由を報じることは、スポーツ・ジャーナリズムの責務であることは言うまでもない。
■改めて痛感させられる、名将と日本の深い「縁」
日本ラグビー協会の関係者は、次のように断言する。 「豪州や南アでの輝かしい指導歴や、日系人の母、日本人の妻を持つ知日家としても、おそらく世界に、エディー以上に日本の指導者としてふさわしい人材はいない」 唯一無二の存在であるにもかかわらず、なぜか契約は更新されなかった。その謎を考える前に、エディー氏の経歴を確認しておこう。 1960年、オーストラリアのタスマニア州に生まれる。そもそも、母親が日系アメリカ人だった。現役時代はフッカーとして活躍するものの、オーストラリア代表に選出されることはなかった。 引退後は体育教師となり、90年代に日本人女性と結婚。更に日本との縁が生まれ、95年に東海大ラグビー部の合宿に参加するため初めて来日を果たす。つまりエディー氏の指導者としてのキャリアは何と、日本から始まったのだ。 その後も紆余曲折、お世辞にも順風満帆というキャリアではなかった。 最初は順調だったのだ。96年に東海大ラグビー部のコーチに就任。日本代表のフォワードコーチも兼任。97年にサントリー・サンゴリアスのフォワードコーチに内定するが、スーパーラグビーのブランビーズ(オーストラリア)のHCを打診されたため移籍。チームでリーグ制覇を成し遂げる。 2001年には遂にオーストラリア代表のHCに就任。03年のW杯は決勝戦でイングランドに敗北して準優勝に終わる。 ところが翌05年は何と9試合で8敗と大幅に負け越してしまう。更に07年には、あの五郎丸が加入するレッズ(オーストラリア)のHCに就くが、何とチームは最下位に転落。一気に名声が地に墜ちてしまう。
潮目が替わるのは、同じ年に南アフリカ代表のチームアドバイザーとなり、W杯優勝に貢献してからだ。09年から10年にかけて、GMやHCとして日本トップリーグ、サントリー・サンゴリアスのリーグ制覇、日本選手権優勝などを成し遂げる。そして翌11年、ラグビー日本代表のHCに就任したわけだ。
■19年までエディー氏がHCを続行することが〝常識〟だった過去
実は、エディー氏は日本でラグビーW杯が開催される19年まで、日本代表のHCを務め続けるという報道も、ごく少数ではあるが行われていた。 その背景にあるのが、先に「世界最高峰のリーグ」と触れたスーパーラグビーだ。 スーパーラグビーとは、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチン、そして今回から日本のサンウルブズも参戦し、合計18のクラブチームで試合が行われる国際リーグ戦だ。 サンウルブズのメンバーは、未来の日本代表と考えて差し支えない。乱暴な説明になるが、野球ならアメリカの大リーグに「日本プロ野球オールスター」が31番目のチームとして加入するようなものだ。サッカーなら「Jリーグオールスター」がリーガ・エスパニョーラや、プレミアムリーグに加わるというイメージだろうか。 このサンウルブズを運営するのが、一般社団法人のジャパンエスアール、略称はJSRAだ。そして今年4月、エディー氏はJSRAの「ディレクター・オブ・ラグビー」に就任する。この職はチームの強化を担うとされ、要するにサンウルブズのHCを指すものだとされた。「日本ラグビー界オールスター」を率いて国際リーグ戦を戦うのだから、これは日本代表HCと変わらない。いや、強豪と日常的に戦うのだから、日本代表より直接的に選手の強化に携わることになる。 この人事なら、エディージャパンは19年まで続くと見て間違いない──協会幹部が「エディー氏は19年まで強化に携わってほしい」と発言したことも大きかった──と、一部のメディアが判断して記事にしたわけだが、これを誤報と呼ぶのはあまりに酷だろう。実際、協会もエディージャパンで19年を戦うと考えていたからだ。 それが8月末、何とW杯直前というタイミングで、エディー氏の退任が発表される。
当時の雰囲気が、非常によく分かる記事がある。8月28日に『THE PAGE』が掲載した向風見也氏による解説記事だ。引用してみよう。
『<ラグビー>選手に動揺なし? エディHCの今大会限り辞任発表の賛否。』
(http://thepage.jp/detail/20150827-00000002-wordleafs?pattern=2&utm_expid=90592221-48.hwO5r5EoTSCBuGKgIeW2Fg.2&utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2F)
<日本代表のエディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)が、9月からのワールドカップイングランド大会終了後に辞任する。4年に1度の大舞台を1か月後に控えたなか、日本ラグビー協会の坂本典幸専務理事が会見で発表した。 宮崎で合宿中だった当の本人も、事実と認めたようだ。かねて、南半球最高峰リーグであるスーパーラグビーのストマーズから指揮官就任のオファーを受けていた。来季から同リーグに参加する日本拠点チームの強化責任者にも就任していたが、その職も辞す。発表のタイミングをこの時期とした理由については、坂本専務理事が「エディーさんの方から『新しいチャレンジがしたい』ということで、お受けしたということ」と言葉を濁すのみだ。 各報道機関では、このニュースは「チームに激震」といった論調で描かれた。気の早い新聞は、ヤマハの清宮克幸監督を次期指揮官候補として紹介。清宮監督自身もメディアを通し、今回の辞任発表の仕方に苦言を呈していた。さらに、SNS上でも感情的な意見が重なっている。一時はジャパンを世界ランク9位に押し上げたジョーンズHCは、ファンからの支持率も高い。それだけに、この報せへの落胆や動揺を表す投稿は後を絶たない。 もっとも実相は、違う色をなしている。このほど、公式発表の数時間前に通達がなされた選手のうち6名が「指揮官辞任の影響」に関する直撃取材に応じた。一様に「周りの人が思うほど、ではないですね」と話していた。2大会連続のワールドカップ出場を目指すトンガ出身のナンバーエイト、ホラニ龍コリニアシもそうだ。 (略) 今度の件で現れた本当の問題点は、辞任を認めた日本協会のビジョンの不明瞭さだろう。ストマーズ入りを視野に入れていたジョーンズHCに対し、日本協会側は「ワールドカップの結果が出てから評価をして、再契約するかどうかを決める」との態度を取ったという。一見、真っ当な対処に映る。ただその「評価」は、結果が出ないとできないものだったのかには疑問が残る。 もし、日本協会が現代ラグビーのトレンドを把握し、そのうえでジャパンの目指すべき戦法に関するビジョンを明確に持っていたら、その理想のビジョンと現状のチームの戦いざまを見比べたり、「現指揮官が留任したら、チームがどう成長および退化するか」と想像するくらいはできるはずだ。つまり大会の「結果」が出る前に、ある程度の「評価」はできるのである。 また、はなからジョーンズHCの解任を考えていたとしたら、ビジョンに合致しそうな別の監督候補への打診へ行動をうつせるだろう。少なくとも今回の件を「この段階ではこういうことが起こるとは考えていませんでした。(次の指揮官決定のスケジュールは)未定です」という事態にはなり得まい。しかし例の辞任会見中、「具体的な強化ビジョン」に関する質問への答えは皆無だった。 雇われるジョーンズHCがチームを強くするプロなら、雇い主である日本協会はチームが強いかどうかを正当に見定めるプロであるべきだ。その関係が成立していないとしたら、ジョーンズHCの辞任も現段階での発表も、起こって然るべきことだった。 ジョーンズHCが強化責任者を辞したスーパーラグビーの日本拠点チームも、選手との契約が難航中。8月中に体制が整わなければ参加枠をはく奪される状況下にある。開幕戦と決勝戦の会場になるはずだった東京・新国立競技場が使用不可となった2019年のワールドカップ日本大会も、ワールドラグビーに「開催が懸念される」という声明を出されたばかりだ。いずれも日本協会とは別組織だが、日本のラグビーを支える人たちが世界中からの信頼を失いかけているのは間違いない。 誰も努力をしていないわけではない。ただ、その方向性と質量には改善の余地がある。
(文責・向風見也/ラグビーライター)>
とにかく協会に「定見がなかった」ことは非常によく分かる。しかしながら、やはりエディー氏の辞任は「激震」であり、実のところは「想定外」の事態だったようだ。あるラグビー協会の関係者は、エディー退任の真相を、次のように明かす。
■―――――――――――――――――――― 【購読記事の文字数】約7100字 【写真】日本代表の帰国会見でのエディ氏 (撮影 産経新聞社)
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