日活ロマンポルノが生誕45周年を迎え、『日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト』と銘打って新作が制作されるなど、話題を呼んでいる。
1971年から88年までの17年間に1100本あまりの作品が製作された日活ロマンポルノは、今や日本映画史に伝説的なページを記す特異なジャンルのひとつともいわれる。
今回のリブート・プロジェクトは、行定勲、塩田明彦、白石和彌、園子温、中田秀夫ら近年注目される若手監督たちに、ロマンポルノへ挑戦させる刺激的な試みで、次々に意欲的な作品が公開されている。
だが2016年、初期日活ロマンポルノの大スターが亡くなったことは、あまり顧みられていない。偶然というには偶然過ぎるその復活と死の符号に、女優の足跡を想わずにはいられない。女優の名は、中川梨絵──。 ■―――――――――――――――――――― 【筆者】鈴木義昭(映画ライター) 【写真】DMM R18動画『恋人たちは濡れた』より
(http://www.dmm.co.jp/digital/nikkatsu/-/detail/=/cid=141nkt052/)
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中川梨絵と聞いて、初期ロマンポルノの衝撃的な作品群を想い出すのは、今や初老の域に達しようとする男性ファンたちだろうか。
何ものにも束縛されない芯の強い女、弱さのなかにしなやかでしたたかな女の性を感じさせる女、中川梨絵がロマンポルノで演じたのは、新しい時代の女の生き方だったのかもしれない。
日活ロマンポルノ第1弾『団地妻・昼下りの情事』(71年公開)は、いわゆるピンク映画から抜擢された白川和子が主演した。
白川和子の活躍は、映画の斜陽から倒産寸前の危機だった日活映画を救った。白川に続けと、若く脱ぐことを厭わない女優、撮影所では陽の当たらなかった女優、新しい映画の可能性に賭けた女優たちが、次々に眩しいばかりの裸体をスクリーンに花ひらかせたのが、日活ロマンポルノという映画ジャンルでもある。
『恋の狩人』(72年)など出演作品が警視庁に猥褻容疑で摘発され「警視庁のアイドル」といわれた田中真理。
セーラー服姿が初々しい『女高生レポート・夕子の白い胸』(71年)などの清純派・片桐夕子。
時代劇ポルノ『色暦大奥秘話』(同年)などで人気の出た小川節子。
新劇から飛び込み『一条さゆり・濡れた欲情』(72年)などの演技で各界から賞賛された伊佐山ひろ子など、多くのロマンポルノ・スターが輩出された。
中川梨絵も、そんな初期ロマンポルノのトップスターだが、誰よりも演技力と存在感が際立ち、注目された。東映や松竹の一般作品にも進出、その大きな可能性が期待された女優だった。
中川梨絵の代表作のひとつ『恋人たちは濡れた』(72年)は先日、イタリアのロカルノ映画祭で上映。内外で作品の芸術性が再認識され、ロマンポルノ復活への道を開いた。
ロマンポルノの巨匠・神代辰巳が監督した『恋人たちは濡れた』は、どことも知れぬ海辺の町を舞台に行き場を失った若者の姿を描き、シラケ時代といわれた70年代初頭の若者たちに共感を呼んだ。
故郷であるはずの町に暮らしながら「この町は初めてだよ」とうそぶく青年は、いつもおどけながら映画館のフィルム運びをやっている。ある日、青年は自分と同じ心象を持つ中川梨絵演じるヒロインの洋子と出会う……。性と生が交錯する官能的な時間が切り取られた作品だった。
寝た客が3人続けて死んだことから付いた呼び名は「死神おせん」。中川梨絵が演じたおせんは、地獄の底のような江戸の女郎屋で暗闇の中の一筋の光のように生きているヒロインで、清々しく可憐だった。
『㊙女郎責め地獄』(73年)は、日活ロマンポルノを代表する映像詩人だった田中登監督の代表作だが、巧みな構成力と重厚な美の世界の核心に、愛くるしい美しさで中川梨絵が立っていた。文芸的な香りの漂う人形振りの場面では、彼女が子役時代から習い覚えた日本舞踊が活かされた。
日活ロマンポルノのデビュー作品、藤井克彦監督の『OL日記 牝猫の匂い』(72年)では、公開直後に作品が警視庁に猥褻容疑で摘発された。彼女は、警視庁からの事情聴取にも堂々と応じ、気丈ぶりを発揮している。
出演作を観た他社からスカウトされ、東映やくざ映画『実録飛車角・狼どもの仁義』(74年)では菅原文太の相手役を、独立プロのATG映画『竜馬暗殺』(同年)では原田芳雄の相手役を務めている。ポルノ映画に留まらない活躍の可能性を見せ、同年には松竹『喜劇・女の泣きどころ』で太地喜和子と共演、陽気なストリッパー役を好演した。
以後、大きな期待を背負いながらも徐々にスクリーンから遠ざかったのは、幼い時から女優を夢見て育った彼女の夢に相応しい役と作品に再び巡り合えなかったからだろう。
東京の下町に生まれた彼女は、5歳の時に日本橋の白木屋ホールで日舞「藤娘」を踊って初舞台。子役として小学校在学中には、NHKの人気連続ドラマ『お笑い三人組』にレギュラー出演している。
高校卒業と同時に東宝に入社、中川さかゆの芸名で巨匠・成瀬巳喜男監督『乱れ雲』(67年)の端役でデビューしている。加山雄三の『若大将』シリーズにも出演したが、東宝では女優として芽が出ることはなかった。裸になれる若手演技派を探していた日活のスタッフに声をかけられて日活撮影所入り、初出演から主演だった。
ポルノの中心がアダルトビデオの登場で映画からビデオに移行、日活ロマンポルノは消滅したが、近年、ハード過ぎてマンネリ化したAVに飽き飽きした若い観客や映画的なエロスを体験したい女性ファンが急増している。
全世界的に「ポルノ映画」の価値が見直されようとしているようだ。ポルノ映画に、女の本音や女の感性、女の生き方を見ようという女性ファンも少なくないのではないか。そんな女性たちに、中川梨絵が演じたロマンポルノのヒロインたちは共感を呼んでいる。
男に媚びを売ったり、欲望の虜になる、といった、ありがちなヒロイン像とは違う中川梨絵という女優の演じ方、生き方が注目されている。
かつて中川梨絵は、日活ロマンポルノを公開時から高く評価し応援していたディスク・ジョッキーの林美雄の深夜放送「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ系列)に出演し、生い立ちから赤裸々に語った。彼女には、ポルノ女優というよりも等身大の女性像の印象のほうが強い。多くのファンから親しく愛された所以だろう。
ポルノ作品以外にも出演作品は多く、多くの監督に起用したいと思わせる個性と実力を兼ね備えていた。子役から演技に打ち込んだ根性で、人気が出ても演技の勉強をする姿勢を崩さなかった。自作『踊りましょうよ』などで、フォーライフレコードから歌手デビューも果たしている。
体調不良もあってか女優としてスクリーンに姿を見かけなくなった頃、好きな自転車で知り合ったという男性と結婚した。料理人である夫と東京・四谷で地酒が評判の小料理店を開き繁盛させた。近年は高齢の母親を介護する為に店を移転、店を続けながら再び女優業にもチャレンジしたいという夢を語った。
日活創立100周年を迎えた2012年に行われた日活ロマンポルノ再上映イベントで、公開当時の熱気や彼女の人気を知らない世代にもファンを広げ、近年、新しい可能性が見え始めていた。
ロマンポルノ・リブート・プロジェクトでも、塩田明彦監督の『風に濡れた女』は、この中川梨絵が主演した『恋人たちは濡れた』へのオマージュとなっており、中川梨絵がリスペクトされていることの証左となっている。
しかし、15年の暮れに肺癌が見つかり、余命半年と宣告された。最愛の御主人に看取られ旅立ったのは、16年6月14日。行年67歳。
神代辰巳、田中登、曽根中生、藤田敏八、加藤彰、小原宏裕ら日活ロマンポルノ往年の名監督たちも早くして亡くなったが、早過ぎた初期ロマンポルノのスター・中川梨絵の死は、日活ロマンポルノが本当に日本映画史の伝説となったことを感じさせた。
時代とともに様変わりしたロマンポルノの歴史だが、ゴダールやトリフォら60年代フランス映画のヌーベルバーグ、大島渚、篠田正浩らの松竹ヌーベルバーグ、それらに匹敵する「日活ヌーベルバーグ」ともいうべき映画ムーブメントが、初期の日活ロマンポルノだったのである。
中川梨絵はその中心にいた女優だった。彼女が、日活ロマンポルノ復活の年に亡くなったというのは、やはりポルノにロマンを求めるという日活ロマンポルノの作品世界にあって、女優という存在の大きさを感じさせた。ロマンポルノ復活も、それに見合う女優の登場が待たれる。
撮影所経験と時代的な女性としての感性の両方を持った女優、中川梨絵のような女優は、日本映画に2度と出て来ないのかもしれない。長く語り継がれて欲しい女優である。
(無料記事・了)