【無料記事】なぜかエロかった日本の喫茶店 | イエロージャーナル

 日本の風俗史と喫茶店は不思議な因縁がある。  明治時代に最初の喫茶店が誕生するのだが、昭和初期には現在と変わらぬ「コーヒーや軽食が主体」の店と、そして風俗的な「ウェートレスのサービスがセールスポイント」の店に分かれていくのだ。

 その端境期を日記に記録したのが永井荷風。岩波文庫版『摘録 断腸亭日乗(上)』(磯田光一編)に1932年の〝エロ喫茶〟が報告されている。ちなみに当時の荷風は50代だ。

<芝口(注・現在の新橋)玉木屋裏の路地に白夜というカッフェーあり。この店にては祝儀四、五円与る(原文ママ)時は女給テーブルの下にもぐり込み、男の物を口に入れて気をやらせる由評判あり>

 要するにピンサロの原点、元祖といったところだろうか。  戦後も、まず関西で「ヌード喫茶」のブームがあった。『サンデー毎日』(昭和30年12月18日号)に『ヌード喫茶よ、さようなら』の記事を掲載している。  サンデー毎日によると、「ヌード喫茶」の発祥は1955年9月の大阪だという。ちなみに当時の首相は鳩山一郎。神武景気の真っ最中であり、翌56年の経済白書には「もはや戦後ではない」との有名なフレーズが記載されることになる。

 桜橋近くの「A」という喫茶店が、女性店員を「白いパンティとブラジャーの上にうすいナイロン・ドレスを羽織った」だけの姿で接客させたところ大ヒット。記事には「利にさといは大阪商人の表看板。我も我もとパチンコ屋やレストランから転向するものが続出して、わずか三ヶ月で二十七店にふえ、開業準備中の業者約七十というヌード・ブームとは相成った」とある。

■―――――――――――――――――――― 【購読記事の文字数】7400 約字 【写真】今も「風俗街」の顔を持つ渋谷 

■――――――――――――――――――――

この先は会員限定のコンテンツです。