下赤坂三郎 | イエロージャーナル

2017年3月7日

【無料記事】「安倍政権ブレーンの横顔」苦労人「谷内正太郎」

 もとより成果のなかった会談だ。いくら裏話を掘り出しても、それほど面白いわけではない。独占密着を果たしたNHKが気の毒に思えるほどだったが、首相本人が登場するインタビューに、ある人物が画面に映った瞬間、全てが納得できた。

 安倍が私邸の敷居をまたがせる「もう1人のアッキー」こと、岩田明子・NHK解説委員らしいロングの黒髪が映りこんでいたのだ。

 やはり安倍は、2人のアッキーに護られているのだと──〝本家〟アッキーは最近、「アッキード事件」で夫の足を引っ張ってはいるが──つくづく納得させられた画面ではあった。

 それはともかく、前後して登場したプーチンを待つ間、安倍を囲む側近だけの極秘会議の場面は、文字通り刮目に値した。

 テーブルに就いていたのは、元外務事務次官の谷内正太郎だったのだ。

 私は1月4日、山内昌之氏を取り上げた。
『【無料記事】「安倍政権ブレーンの横顔」ルサンチマンの「山内昌之」』
(http://www.yellow-journal.jp/series/yj-00000419/)

 谷内は山内昌之とも近しい、内閣安全保障局長である。もとより、山内を安全保障局の顧問に招いた当人の1人が谷内であるのだから当然であろう。

 だが、当の外務省プロパーからすれば、この谷内という存在はいささか特異なものに映るようだ。

 安倍外交のまさにブレーン中のブレーンとなった谷内だが、外務省OBや現場からの視線には冷ややかなものも少なくない。なぜか──。

 谷内は、大使を経ることなく次官に上り詰めた異質の外務官僚だからである。

 谷内が安倍とべったりとなったそもそものきっかけは、小泉政権において安倍が官房長官に抜擢された時期に遡る。その意味で、現在、側近中の側近といわれる経産省出身の今井尚哉は安倍の第1次政権以降の人材であるのに対して、その付き合いは古い。

 安倍のタカ派外交で理論的側面を支えてきたのが、この谷内だ。大使を経ていないからといって、それが外交官としての手腕、外交政策の視点に決定的な影響を及ぼすとは言い切れない。

 しかし、外交現場の矢面に立つのが各国における大使だとすれば、それを経験していない谷内は、いかにも理論先行で、パワーポリティックスを肌で身をもって知らないということにはなる。

「外交は実は理論ではなく、経験が決定的でもあり、とりわけ痛い経験の蓄積こそが大事」とも言われるぐらいだ。

 一気に上り詰めてきた安倍の思想信条に共鳴するまま、やはり次官に上り詰め、最終的に外務省の外の外務省という中途半端な安全保障局長に収まった谷内に対して、外務省内から冷ややかな視線が浴びせられるのは、こんな背景がある。さる外交官が打ち明ける。

「安倍にしてみれば、安全保障局に元外務次官の谷内を迎えることで、外務省も抱き込んだつもりかもしれないが、外務省は伝統的に、全省あげて、ということはない。欧州亜のそれぞれのスクールに分かれて、それこそ戦前の海軍陸軍並みの強烈な競争と派閥争いを繰り広げている。どこの大使も経ていない谷内が外交の現場をわかっているなどという者は外務省にはいない」

 その谷内は富山県出身で石川県金沢育ちと伝えられているが、血筋のいい外務省のなかでは、珍しい叩きあげの部類である。

 そもそも、富山から能登にかけて点在する「谷内=やち」姓の源流は、富山・南砺地方の山中奥地を源流とする一帯がひとつの発祥とするとみられている。

 最源流は世界遺産ともなっている、おわら風の盆でも知られる五箇山界隈であり、かつて加賀藩時代は、いわゆる政治犯、思想犯の流刑地であった。谷内姓はここを源流に、山をくだり、能登の先まで向かう途中で「牛谷内=うちやち」などと時と場所と職業に応じて姓のバラエティーを変化させていった。

 とりわけ富山から金沢にかけてくだった谷内姓の多くは、戦後のダム事業によって水没集落となった者たちによる集団移転や就職事情を背景とするものが多い。彼らのうち、優秀な者は石川県の金大附属や富山高校を経て上京し、外務省へと入省するが、ここで北陸閥は外務省内においても一大勢力を築いてきた。

 谷内という一族がまとった歴史的な水脈を辿れば、立身出世意識の極めて強い裏日本・北陸のさらに傍流としての苦難の道が見えてくる。

 たたき上げのなかのたたき上げ、そんな風景も見えてこよう。ならばこそ、一度つかんだ椅子は決して手放さず、権力への渇望と飽くなき執着は納得もできる。

 血筋のいい外務官僚らが大使の椅子に座るも、決して泥臭い次官レースに躍起にならないのに対して、安倍という上昇権力を握った谷内が、決してそれを手放さなかったのは、安倍の側の事情をおいても、理解はできる。

 安倍外交の枢要でありながら、そんな谷内の「外交観」はほとんど不明であるのも政権の最大の謎のひとつである。

 次官時代の谷内は、外交よりもむしろ、国内の情報操作に長けていた一面がある。外務省の記者クラブ「霞クラブ」に所属していた放送関係の記者が明かす。

「次官時代の谷内さんは新聞だけでなく、雑誌の編集長クラスともこまめに会食していましたよ。だから安倍さんが彼を重用したのは、外交上の情報収集力や分析力というよりも、国内向けの目配せのうまさであったのかもしれないなと思いましたね。局面に応じたひとたらしのうまさでいけば、それこそ電通や博報堂の人間並みにうまいです。ただ、あくまでもそれは国内向け、日本人向けですからね。外交の現場で通用するかどうかは、当の外務省の部下たちにも正直、わからなかったというところでしょう。なにしろ、谷内外交そのものには、実績がなかったというの現実ですから。どちらかといえば、旧内務官僚型であり、外交官というにおいはあまり強く感じなかったぐらいです」

 安倍外交のプレーヤーは、もちろん安倍晋三本人だ。父・安倍晋太郎は中曽根政権で外相を4期務めている。その姿を意識している側面があるはずだが、なぜか多くのメディアは安倍外交のシナリオを描く谷内に焦点を合わせようとしない。まるでブラックボックスだと諦めているようなのだ。

 メディアの〝弱腰〟を見ると、放送記者氏の述懐が更に重く響いてくる。次官時代に繰り広げた、旧内務官僚ばりの「記者たらし=マスコミ統治」が好を奏しているのかもしれない。

(無料記事・了)

2017年1月4日

【無料記事】「安倍政権ブレーンの横顔」ルサンチマンの「山内昌之」

 あまりに密やかで、全く目立たないが、第2次安倍政権でにわかに存在感を増している、1人の男がいる。

 歴史学者の山内昌之氏だ。メディアは2016年、「東大名誉教授」と「明治大学特任教授」の肩書を使った。

 東大退官は2012年。それから政権中枢への食い込みは、〝御用学者〟などというレベルを越えた。政財界どころか、日本内外でも、他に追随する人物はいない。

「スパークリングワインで」──。

 山内氏と打ち合わせを希望する者には必ず、こう言われるのだという。仕事となれば、まずは腹にワインを流し込むわけだ。 ■―――――――――――――――――――― 【筆者】下赤坂三郎 【写真】山内昌之氏公式サイトより

(http://yamauchi-masayuki.jp/)

■――――――――――――――――――――

 言わずと知れた、国際関係史の研究者。特に中東・イスラム地域研究の専門家だ。その博覧強記はあまりに有名だが、それだけではない。学究肌には珍しく、実地での見聞も加味され、だからこそ言説は非常に強い説得力を纏う。

 ところで山内氏の自宅はどこに所在するか、ご存じだろうか。

 学者といっても、紋切り型のイメージと現実は異なり、例えば田園調布や鎌倉に住む者は少ない。大半の住所は府中、三鷹、吉祥寺といったところで──我々、平凡な会社員と同じように──郊外の沿線から勤務先の大学へ通っている。

 それが山内氏の場合、何と赤坂8丁目だ。近くにはカンボジア大使館が建ち、赤坂5丁目のTBS本社も、六本木の東京ミッドタウンも指呼の間。いくら東大とはいえ、赤坂に居を構えている学者など見たことも聞いたこともない。

 一体全体、山内氏の懐具合は、どうなっているのだろうか。

 山内氏は現在、フジテレビ特別顧問と、三菱商事顧問に就いている。週に2日はフジテレビ、他の2日は三菱商事、そして残る1日は明治大学に出勤する。いやはや、「元東大教授」らしからぬ多忙で、華やかな印象の毎日だ。

 少なくとも三菱商事では、専用車も準備されている。自宅から出て颯爽と最新型クラウンの後部座席に乗り込む姿は、東大名誉教授というよりは、三菱商事アメリカ支社長と言ったほうがしっくりくる。

 そんな山内氏は1947年、国鉄労組の父親のもと、札幌市に生まれている。

 本人も北海道大学に進学してからは学生運動に身を投じた。所属はブントだという。絵に描いたような「団塊の世代」(1947〜49年生れ)と形容していいだろう。

 ご存じの通り、この時期に学生運動からの転向したグループは、社会に出ると一気に権力志向へ突き進むケースが少なくない。

 本来、東大教授の退官本流は、放送大学なのだ。私大への教授職が用意されても、放送大学教授を兼任するということもある。

 東大を退官してから、フジテレビと三菱商事の顧問室に直行した学者は、どう考えても山内氏が嚆矢に違いない。もとより東大時代から、メディア露出の好きな学者だとは思われていた。柔らかい語り口に加え、ビジネスマンのようなスマートさも兼ね備える。能力が桁違いなのは言うまでもない。だからこそのフジテレビ、三菱商事の招聘だったはずだ。

 そんな山内氏は意外なことに、ことあるごとに東大批判を繰り返す。その言説の中心は「東大には東大教授になりたい病(の人間が)多い」というものだ。教授になるまでは刻苦勉励を続けるが、その夢を果たした途端、何も勉強しなくなるのだという。

 しかしながら、ポストを得ると勉強しなくなるのは、日本全国の大学教授に当てはまる。別に東大に限った話ではなく、単なる一般論だ。山内氏の母校、北海道大学でも類例は掃いて捨てるほどあるだろう。

 山内氏の頭脳、見識を考えれば驚くほど、指摘に鋭さや深みに欠ける。

 東大内部にいたのだから、リアルな現状を語ってくれれば、それだけでいいのだ。なのに、そうした「内部告発性」にも乏しい。失礼を承知で言えば、新橋の居酒屋でエリート東大生を批判して悦に入る酔っ払いの戯言と大差ないのだ。

 いずれにしても、山内氏が東大に愛着を持っていないことだけは確かだろう。東大における「比較政治」の本流はやはり、94年に東大大学院・法学政治学研究科教授となり、13年に定年退職となった塩川伸明氏なのだ。

 塩川氏と異なり、山内氏は東大法学部に講座を持つことが叶わなかった。これだけで傍流が認定されてしまうわけだが、そうした〝本流〟の塩川氏と、〝傍流〟の山内氏は、東大で〝覇権〟を争った。ところが、この2人、相当に似た経歴の持主だということが、更に話をややこしくする。

 先に見たとおり山内氏は47年生まれで、一方の塩川氏は48年。塩川氏は都立日比谷高から東大に進学し、やはり山内氏と同じように学生運動に身を投じた。山内氏がブントだったのに対し、塩川氏は中核派だったという。

 山内氏がイスラム、塩川氏はロシア政治と、表向きの専門分野は異なる。だが、ロシアはイスラム系民族色の強い国、となると、この2人の因縁はより鮮明さを増す。山内氏もイスラムを通じてロシアを見ていたのだ。

 これほどの碩学が、同じ大学で覇を競い、結果として東大生え抜きの塩川氏が本講座を持ち、北大出身の〝外様〟である山内氏は〝疎外〟された──となれば、山内氏は様々な局面で鬱積したものを抱え込まざるを得なかっただろう。

 そして山内氏は傍流のまま、野に放たれた。まさか「在野の研究家」になるはずもなく、「野に遺賢なし」を自ら証明しようとしたのか、安倍政権の内部に深く食い込んだ。

 今や山内氏は安倍政権における安全保障分野の主要ブレーンと言っていい。肩書の1例としては、内閣国家安全保障局の顧問を務めている。また2016年9月には、特に注目されている「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーにも選ばれた。

 東大時代のルサンチマンを晴らすため、山内氏は安倍政権の枢要へ、どんどん突き進んでいくのである。

2016年12月28日

【無料記事】五輪招致で「放蕩」石原慎太郎・猪瀬直樹「原罪」

 2009年9月12日、朝日新聞は『石原知事、26日から出張 デンマークでIOC総会/東京都』の記事を掲載した。

 当時の石原慎太郎・東京都知事が2016年夏季五輪開催地を決定するIOC総会に出席するため、9月26日から10月4日の日程で、デンマーク・コペンハーゲンに出張、という日程を伝えたものだ。

 文中では、定例会見における石原知事の発言も引用されている。

「IOC委員に対し、最後の瞬間まで東京招致への支持を求めていく。招致を望む都民、国民の熱い思いを胸に、招致を獲得してまいりたい」

 結果はリオ五輪となったのは、ご存じの通りだ。その9月26日の夜。石原知事はデンマークへ旅立ち、東京・新宿の居酒屋では、都庁幹部が、こんな胸の内を漏らしていた。

「慎ちゃんも、ファーストクラスで、また欧州ワインツアーの豪遊だよ。気楽なもんだよな。後から議会につつかれないように交際費を処理するこっちの身にもなってほしいよ」 ■―――――――――――――――――――― 【著者】下赤坂三郎 【写真】2007年6月、副知事の人事案が可決され、取材に応じる猪瀬直樹氏(左)と、石原慎太郎都知事(当時)(撮影 産経新聞社) ■―――――――――――――――――――   この年の6月には、スイスのローザンヌで、候補の4都市によるプレゼンテーションが行われた。シカゴ、リオデジャネイロ、マドリード、そして東京という顔触れだ。この時、同行した都庁関係者はもとより、JOCの関係者でさえ、石原知事の〝放蕩〟ぶりには呆れ返ったという。  

 先の都庁幹部は完全に諦念し、白旗を掲げていた。

「大体、今の都庁で、まともに仕事をやろうなんてムードはないですよ。目立ちたがり屋で、朝令暮改ばかりの慎ちゃんの下で、まともな政策なんてできないんだから。皆、じーっと、慎ちゃんの任期が終わるのを待っているわけ。慎ちゃんは自分の任期最後、打上げ花火としてオリンピック召致を果たしたかったんだろうけど、振り回されるこっちの身にもなってほしいよ。それで、帰国すればまた、ワイン漬けの清算処理ばかり押し付けられるんだから」

 この時期に、都庁職員のモチベーションが著しく低下したことは、築地市場の移転問題が現在も迷走している遠因の1つに挙げられる。

 市場が豊洲に移転した後、築地の跡地にはメディアセンターが建てられる計画だ。もし石原都政下の職員が五輪招致で一致団結していれば、ここまで混乱しなかったに違いない。小池百合子・都知事の誕生で、職員は「さあ大変だ」と大慌てしているものの、失われた貴重な時間を取り戻すのは、なかなか難しい。

 石原都政は五輪招致を派手に打ち上げたが、インフラ整備のメドさえつかない状況は長く続いた。全く信じられない話だが、当時は副知事だった猪瀬直樹氏は知事に「諫言」するどころか、「慎太郎の親衛隊」らしく、周囲にはこんな風に嘯いていたという。

「仮にな、オリンピックが駄目でも、それをやろうという気運で緑化が進んだり、温暖化対策を進めたりするきっかけになれば、そこに意味があるんだよ」

 だが、これこそ「ご都合主義」以外の何物でもない。別の都庁幹部も怒りを滲ませながら、正論を吐く。

「緑の東京を作るために、オリンピック招致で5000億円近くつぎ込むんだったら、最初から、緑化事業に5000億をつぎ込めばいいだけの話でしょう」

 五輪招致は当初から東京の劣勢が伝えられていた。おまけに対抗馬のシカゴは「世界のオバマ」を担ぎ出すことに成功。日本側も鳩山由紀夫首相をプレゼンに出席させたが、都庁職員は「ワシ(※註:アメリカの国鳥はハクトウワシ)とハトでは、その力の差は火を見るより明らか」と自虐ネタにするほどだった。

 だが多くの関係者が石原都知事の豪遊を呆れて見つめる一方で、舞台への復帰を狙う堤義明・元コクド会長は、援護射撃のつもりか、様々な動きを繰り広げていた。

「本当のところ、どんな狙いがあったのかは分かりませんが、サマランチ元会長をはじめ、海外のIOC幹部に電話をかけまくり、東京オリンピック招致を働きかけていました。彼としては執行猶予が終わり、更に招致に成功して『影の功労者』として認知されれば、再び日の当たる場所に出られると考えたのかもしれません」(関係者)

 確かに東京五輪の招致に成功した現在、堤氏はオリンピック委員会の顧問に収まった。「形ばかり」という酷評もあるとはいえ、表舞台への復帰を果たしたのだ。

 長野オリンピックを実現させたのだから、確かに堤氏は豪腕の持主なのだ。そんな「元西武グループ総帥」の孤独な電話外交を知ってか知らでか、デンマークの石原都知事はロビー活動と称し、毎夜のワイン三昧。

「知事は酔って、へべれけです」と随行員からメールで連絡を受ける都庁幹部は、再び天を仰ぎ、「あといくつ寝れば、慎ちゃんは任期満了か」と指折り数える……。

 そんな舞台裏だったにもかかわらず、帰国した石原知事は「プレゼンは緻密で完璧なものだった」と自信満々に総括した。東京五輪に名乗りをあげて以来、常に石原知事は自画自讃のコメントを連発していた。それを幾度となく聞かされる招致委員会の面々には、さすがに白けた空気が漂っていたという。

「新銀行東京でも、あれだけ都民の税金を無駄遣いしたのに、知事自らファーストクラスに乗っての大名旅行ですからね。あの人の貴族趣味は昔からですが、その病気は副知事にも伝染しました。猪瀬さんも早速、『俺の海外視察も、なんでファーストクラスじゃないんだ』と事務方にねじ込みましたから」(都庁職員)

 この招致活動では、海外渡航費だけでも、一体、いくらの税金が消えたことか。副知事秘書の経験者は「知事が海外の会議に出席すると、だいたい2000万円は吹っ飛びますよ」と明かす。後は推して知るべしだろう。

 この頃、国民は麻生政権から続く景気低迷に苦しんでいたが、東京都は歯牙にもかけなかったということになる。おまけに知事が自ら絶賛したプレゼンも、同行した招致委のメンバーは真逆の評価を下す。

「東京五輪はコンパクトだ、緑化だ、と独りよがりにコンセプトを打ち出しているだけでしたよ。何でも北京五輪は渋滞がひどく、競技会場に選手の到着が遅れたらしいんです。そんな程度の理由で、電通が『コンパクト』を提案し、オウム返しに言っているに過ぎません。何もかも日本人らしい神経質さが全面に出てしまっていて、オリンピックらしい夢は皆無でした」

 それでも悲願の東京五輪を勝ち取ったわけだが、そうなると、あの「コンパクト」はどこに行ったのだと呆れ返るほど予算が膨れ上がっていく。

 そもそも五輪招致では、原点の原点からお粗末なものだったから当然だという声もある。産業労働局の幹部が振り返る。

「IOCのメンバーや、海外の有力者向けのパンフレット『東京カラーズ』の作成では、委託した海外デザイナーとトラブルになりましたし、文中に誤植があり、『自慰』を意味する俗語が表記されていたんです。これを都は修正せず、そのまま海外で配ったんですよ。もう、何と言えばいいのか……。おまけに、このミスを石原都知事に知られないよう、必死に隠蔽したんです」

 石原=猪瀬のコンビは、馬鹿馬鹿しいまで招致のお祭り騒ぎを繰り広げてきた。この原罪にこそ、小池都知事は切り込むべきだろう。猪瀬氏を小池塾の講師にまで招いたが、それこそ利敵行為と知るべきだ。

2016年12月20日

【無料記事】「省庁」の「公文書保管」は驚愕の「空き家に〝野積み〟」

 2016年12月11日、毎日新聞に『公文書管理:甘い点検 国交・文科省、不備報告せず』との記事が掲載されたのをご存じだろうか。なかなか興味深い記事なのだが、まずは以下に内容を要約させて頂く。

①法令で義務付けられた国の公文書管理状況の自己点検で、国土交通省と文部科学省は管理不備があったにもかかわらず、「不備ゼロ」としていたことが、毎日新聞の取材で分かった。

②一方、正確な自己点検を行ったのは防衛省、法務省、厚生労働省など。いずれも数万から数千件の不備を見つけて、改善を行っている。

③ミスの内容は、▼ファイルの分類ミス▼ファイルに無関係な文書の混入▼管理簿への誤記載──など。

④点検結果のばらつきに対して、国は「基本的には各省庁が監査することになっている」と毎日新聞に回答した。

⑤専門家は「ゼロはありえない。内部チェックが働いていない証拠。報告先である内閣府が調査し、指導を行うべき」と指摘した。 ■―――――――――――――――――――― 【著者】下赤坂三郎 【写真】【写真】内閣府「行政文書の管理」中の「文書管理者の役割」

(http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/about/shikumi/g_bun/tebiki3.pdf)

■――――――――――――――――――――  

 いかにも一般紙らしい、立派な報道であることは論をまたない。だが、皆さんは記事の要約に目を通されながら、公文書の保管場所をどのように思い描かれただろうか?

 例えば各省庁の地下には巨大な保管スペースが用意されており、そこには膨大な量のファイルが並べられている、といったイメージを浮かべられただろうか?

 実は公文書は役所には1枚も保管されていない。住宅地などに位置する建物に、適当に放り込まれているのだ。

 私は以前、経済産業省の記者クラブに詰めていたことがある。そしてある日、経産省の総務担当のノンキャリ職員が、押収物のような段ボールの山を抱え、トラックに載せて出ていくところを目撃した。「あれは何だ?」と原付で尾行したのが原点だったが、他にも役所の保有資産を洗った際にも、様々な現状に触れることができたのだ。

 例えばGoogle マップに「東京都文京区白山2丁目31−4」と入力して頂きたい。地図を拡大すれば建物に「文部科学省資料保管所」と書いてあるのが分かるはずだ。もちろんストリートビューを見ることもできる。ヤクザの事務所ほど悪趣味ではないが、窓が目張りされているなど、かなり不審な建物だということが一目瞭然だ。

「第2モリマツビル」と記載されている「東京都新宿区箪笥町5」の建物も興味深い。3階建の小さなビルなのだが、窓だけでなくシャッターもぴったりと閉ざされている様子は、暴力団というよりは、過激派の公然本拠地を思い起こさせる。

 要するに、これらは一棟丸ごとが「書庫」なのだ。たまに役人が段ボール箱を搬入するぐらいで、後は人の出入りなど全くない。私も入ったことがあるが、中は基本的には民家の間取りと変わらず、各部屋に段ボールが〝野積み〟されている。

 要するに相当に杜撰な管理状態なのだ。日本の省庁は公文書の管理に対する意識が非常に低いことが、こうしたことからも浮き彫りになる。役人の電子メールさえも、後世の評価に資するために公文書として細大漏らさずに収集している米国の公文書館との扱いと意識の隔たりは大きい。

 この他にも、各省庁が独自に所有する「共用会議所」という建物に段ボールが置かれている場合もある。もっとも、「会議所」は、公文書の保管などとは比べ物にならないほど、国家公務員にとって重要な任務の舞台となっている。キャリア官僚らは、人目につきにくい会議所にコンパニオンを呼び、禁止されているはずの「官官接待」に精を出すのだが、それはまた別の機会に詳報させて頂こう。

2016年8月16日

参院選「田中直紀」落選「公選法違反容疑で送検」遂に「田中王国」が崩壊

 踏んだり蹴ったりとは、このことか。世は田中角栄ブームだというが、今回の参院選では静かに「田中王国」が滅亡した。民進党から比例代表で出馬した田中直紀・元防衛相が落選したためだ。これにより田中角栄元首相が1947(昭和22)年から69年間にわたって国政の場で守り続けた「田中家」の議席が失われたのだ。  おまけに9月には地元紙・新潟日報が『公選法違反 田中直紀氏を書類送検 有権者に無届書類送付の疑い』の記事を掲載した。記事によると、新潟県警が田中氏本人と陣営の男性2人を公選法違反(法定外文書の配布)で新潟地検に書類送検していたという。投票を呼びかける文書約2万枚を関東を中心とする全国の支援者や、企業宛に送った容疑が持たれているとのことだ。

 ロッキード事件なら少なくともスケールは大きいが、こちらは正直、微罪と言っていい。逮捕容疑さえも雲泥の差となってしまった。新潟の地で無類の強さを誇った角栄ブランドは、何故かくも無残に朽ち果てたのか。現地に飛んでみた。

■―――――――――――――――――――― 【筆者】下赤坂三郎 【購読記事の文字数】2500字 【写真】田中角榮記念館公式サイトより (http://www.tanaka-zaidan.net/)

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2015年11月30日

河野太郎行革相が「政治資金収支報告書」を密やかに〝弥縫〟の姑息

 第3次安倍改造内閣の「目玉」ともされる河野太郎・行政改革担当大臣。入閣の悲願を果たすと過去のブログを閉鎖するなどして一部からは失笑を買い、原発などへのスタンスを巡って「毒饅頭を食べた」との揶揄は未だに根強い。  とはいえ、11月には先頭に立って行政事業レビューを敢行。得意の無駄遣い削減をPRしてそれなりの存在感を示した格好だ。

 しかしながら河野大臣には、もう1つ「姑息」だと話題を集めた報道が行われたのをご存じだろうか。週刊ポストが11月13日号に『河野行革担当相 就任前日に政治資金収支報告書修正への疑問』との記事を掲載している。ネット上では『NEWS ポストセブン』の『河野太郎氏 入閣前日に政治資金の収支報告書を訂正していた』の無料記事となり、これは現在でも閲覧が可能だ。

http://www.news-postseven.com/archives/20151103_360998.html

 自民党議員の中では比較的、河野大臣にクリーンなイメージを持つ有権者は少なくないかもしれない。だが入閣前日の10月6日、ひっそりと自身の資金管理団体「河野太郎後援会」の政治資金収支報告書を訂正していたわけだ。  対象は平成23(2011)年のもの。同年6月17日に河野氏自身が、自分の資金管理団体に250万円を寄附していたが、これを削除。代わりに、新たに250万円を貸し付けがあったと報告し直している。250万が寄付から借金に変わったわけだが、なぜ、こんな訂正が行われたのだろうか。単純な勘違いなのか、そもそも、一応は「軽微」な印象を受ける誤記載を、わざわざ入閣前日に〝コソコソ〟と直したのだろうか。どうしても不自然な印象は拭えない。  さる政治部の記者は「内閣情報調査室は入閣候補者の身体検査をする。それに引っ掛かったのではないか」との推察を披露する。他社の記者も多くが同様の見立てらしい。  それならば、と内調の関係者に聞いてみれば、「前回の改造で政治資金問題が複数出たこともあり、警察庁や国税庁、総務省から出向している職員が、入閣候補者の身体検査を徹底的に行っていた」と認める。  では仮に内調の身体検査で河野大臣の報告書が引っかかり、密かな修正を〝指示〟したとすれば、彼らは何を問題視したのだろうか。  私の脳裏に1つ浮かぶのは、寄付、つまり政治献金を行うと、その分が税額控除されるという税制だ。寄付が課税所得からそのまま差し引かれるため、結構大きな節税となる。これが度を越せば脱税になるわけだ。

 少し話が進みすぎてしまっただろうか。まず、河野大臣の政治資金収支報告書、現物のコピーを見て頂こう。

■―――――――――――――――――――― 【著者】下赤坂三郎 【購読記事の文字数】約2700字 【写真】河野太郎行革相 (撮影 産経新聞社)

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