【無料記事】日中「貧富逆転」で「中国人妻」離婚急増 | イエロージャーナル

 群馬県のある農家で起きた悲劇である。今年、70歳になる野菜農家の主は、突如、妻からこんな罵声を浴びせられた。

「わたしのほうが貧乏になっちゃったじゃない」

 農家としての経営は悪くはない。農閑期には旅行にも行き、結婚してから25年、女房孝行はそれなりにしてきたつもりだった。国際結婚。女房は中国の農村から出てきた。それなりに幸せな家庭を築いてきたつもりだった。

 当初は日本語が不自由だった女房も、子供が産まれて保育園に預けるようになった頃から、子供と同じペースで日本語も上達し始めて、細かな意思のやりとりもできるようになっていった。

 やはり周辺に嫁いできた中国人花嫁やフィリピン人の花嫁ら外国人女房たちとも適度に交流し、すっかり日本での生活も板についたはずだった。

 変化が訪れたのは数年前──。

■―――――――――――――――――――― 【写真】中華人民共和国の国旗

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 中国にいた女房の家族らが時折、東京や福岡に「爆買い」ツアーに来るようになった。結婚当初はずいぶんと仕送りもして、電化製品なども折に触れて送っていたが、いまや中国の経済成長は著しく、ついに日本人消費者をしのぐ経済力を蓄えるに至ったのだ。

 かつては十人単位で遊びにきたことがあった女房の親兄弟たちも、今となっては来日しても群馬まで立ち寄ることはなくなった。ツアー旅行のゆえに自由行動ができないためだと思っていたが、女房の叫びを聞けば、事情は違っていた。

「うちが貧しいからよっ。こんな貧しい農家に嫁いだってバカにされてるのっ」

 そこで初めて、中国の農家であった女房の親兄弟は、農村開発によって土地成金となり、いまや都会並みの豊かな暮らしをしていることを知ったのだった。

 あるとき以来、女房はことあるごとにこう言い出す。

「あたしばっかり貧しくなっちゃったじゃない。あたしばっかり貧しいじゃない。こんなに貧乏になっちゃったじゃない」

 もちろん、農家ゆえの労働の辛さがあるとはいえ、決して貧しくはない。トヨタホームで建てた二重サッシの我が家に、家内専用のクラウン アスリートもある。農家としては豊かなほうだと思ったが、中国からの成金ぶりを知らせる便りに、女房はすっかり、日本の農家での生活を「都落ちした貧しいもの」と見るようになってしまったのだった。

 今年に入り、突きつけられたのが「離婚」だった。

 女房はまだ50代だが、夫はすでに70歳。再婚などは、もはやかなうまいと考え寂しくなったが、子供はすでに独立して東京で暮らしている。いずれは農家も自分の代で終わりにしようと考えていたので、なじられ続けるのにも疲れ、同意した。

 日本での生活がすっかり板についていた女房が最後に口にしたのは「ザイサンブンヨ」なる言葉だった。

 結婚してから25年間、働いた分として貯金の半分を寄越せといわれ、しぶしぶ、3000万円を渡すと、女房は去って行った。

 東京にいる子供からの連絡で、その後「元」女房は中国に帰り、株への投資などで大もうけしていると知った。

 その後、あるときのことだった長野の総合病院に行った折、かつてやはり中国人花嫁をもらった農家の主人と偶然にもロビーで顔を合せた。

 聞かれる前にと思い「実は離婚して」と切り出すと「こちらも」という話になった。聞けば、当時、中国に出向いて見合いしたうえで嫁いできたもらった中国人花嫁たちが、今、大挙して故郷・中国へ戻っていっているのだという、そんな話を聞かされた。

 彼女たちのなかでは、ついに「豊かな中国、貧しい日本」になり、かつて日本に来たときのように、富める場所へと移動していったのだろうと納得した。

 中国人花嫁も今は昔。日本を捨てて去って行く。残されるのは、ひとり、年上の日本男子ばかりなり。

(無料記事・了)