近年、アメリカの大学進学を専門とする塾が続々と誕生している。「東大よりハーバード」という観点の雑誌記事も目立つようになってきた。
だが、ちょっと待って頂きたい。
「真の英語教育を実施する」「国際化社会に対応する人材を育成する」と日本政府が連呼し始めたのは、何も昨今のことではない。それこそ敗戦1か月後、つまり1945年9月15日に『日米会話手帳』(科学教材社)が出版され、360万部の大ベストセラーとなった。
進駐軍と対峙するため、語学力を身に付けようとしたのだ。まさに日本の国際化元年だろう。そして、それから戦後70年にわたり、延々と「真の英語教育」「国際化教育」の必要性が叫ばれてきた。
では、我々日本人の英語力は、どんな具合だろうか。確かに留学経験なしでもネイティブレベルという偉人──もしくは奇人──も存在する。だが、我ら凡人にとっては、英文メールが届けば、返信の作成は少なくとも数時間、場合によっては数日が必要だろう。いや、そもそも英語が全く必要のない仕事に就いている人が大半に違いない。
40代以上なら、中学から大学まで英検取得を奨励された記憶をお持ちのはずだ。しかし日本人の英語力は全く向上せず、儲かったのは英検協会と対策教材を作成する出版社だけだ。近年はTOEFLやTOEICが取って代わりつつあるが、本質は何も変わっていない。
しかしながら、ここで本稿が問題にしたいのは、日本における英語教育の課題ではない。「グローバル社会では英語が公用語だ」「アイビーリーグでMBAを取得」と躍起になる日本人エリートが、なぜ海外で通用しないかという疑問だ。そこから見えてくるのは、語学力などが些細に思えるほど、決定的な文化の差異だ。 ■―――――――――――――――――――― 【写真】ベネッセが運営するアイビーリーグなど海外トップ大進学塾『Route H』公式サイトより
(http://rt-h.jp/)
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アイビーリーグのさる大学を卒業したノンフィクションライター氏が「留学した和製エリート」の問題点を指摘する。
「私が大学生だったのは、かれこれ20年前になります。私はアメリカの高校から大学に進学したのですが、当時は20代前半の日本人は少なかったように思います。多くは20代後半から30代で、企業や官庁からの留学生が大半でした」
現役サラリーマン・官僚の英語力は、当時のTOEFLで、最低でも650点以上。アメリカの大学教育が要求するレベルは満たしていた。
社内での留学選抜試験にも合格し、組織のエリート候補生として意気揚々と留学してくる。だが、全く勉強ができない。歯が立たない。その原因をライター氏は「書くことと話すことの基礎能力が欠如しているからです」と指摘する。にわかには信じがたいが、どういうことなのだろうか。
「私が問題にしているのは、英語を流暢に話す能力ではありません。もっと根源的なもので、自分の意志を他人に伝える力です。例えば1冊の本を執筆したり、不特定多数の前で30分、スピーチができたりする能力です」
つまり「自分の言葉を持っているかどうか」が問題なのだという。その有無を調べるために、アイビーリーグ校の多くはAO入試を実施する。要求されるエッセイの執筆能力や、面接での一問一答は今やネットでも情報を得られるが、当然ながら有名大学になるほど水準は高い。日本の「一芸入試」と化したAO入試とは雲泥の差だ。
「アメリカでは大学教授でさえ、年に1冊の本を執筆しなければ、追い出されるという過酷な職場です。大学生にも厳しい要求が行われますが、かといって特別な能力を持つ人間を集めているわけではないんです。読むことと、話すこと、そして書くことの3分野について、基礎能力の高い受験生を選抜しているに過ぎません。名門大学と、そうではない大学の差も、この基礎能力の差によって生じます」
対して、わが国の大学では、どのようにして「偏差値」の序列が決まるだろうか。少なくとも「話すこと=面接」「書くこと=小論文」を入試として課す大学は稀だろう。今や私立大学でもマークシート式のセンター試験で合否が決まってしまう。
「日本での受験勉強は、ドリルワークに代表される反復練習が基本です。更に根本的な美徳として『沈黙は金』が挙げられる社会に私たちは生きています。黙々と辛抱強く受験勉強に打ち込んだ人間が、大学入試で上位の成績を得る。日本における天才、秀才のイメージは寡黙、控え目、真面目といったものでしょう。これはつまり能吏タイプこそが、日本ではエリートと称される人生を歩むのだということです」
ヘンリー・キッシンジャーの名を知る人は多いだろう。国際政治学者にして、ニクソン・フォード政権で、大統領補佐官、国務長官を歴任した。だがキッシンジャーがドイツ人だったということはご存じだろうか。ユダヤ人だったため、ヒトラー政権の誕生でアメリカに移住、帰化したのだ。
アメリカでのキッシンジャーは苦学生だった。高校は夜間で、ニューヨーク市立大学に進学。第二次世界大戦勃発により陸軍に入隊し、終戦を迎えてハーバード大学に入学し、更に大学院へと進んだ。
「キッシンジャーの英語はドイツなまりが酷く、耳が痛くなるほどです。しかしアメリカ人の誰も彼を馬鹿にしません。アメリカでは綺麗な英語を話すことが、教養・知性の持ち主であることとイコールではないからです。重視されるのは、自分の主張を、どのような表現で、どう相手に伝えるかという『話す能力』だけです。ところが社内・官費留学でアイビーリーグに来る東大卒のエリートは、自分の言葉を持っていません。だから話すことも書くこともできず、大学では完全なお客様になってしまいます」
人生初の挫折に心を病む社会人留学生もいるというが、多くは「大学における彼我の差」を痛感すると、ニューヨークの紀伊國屋書店を頼りにするらしい。
「店内は当然、日本の出版物がずらりと並びますが、東大卒のエリート留学生は、自分に必要なビジネス書や研究書を買い漁ります。そして徹夜で英語に翻訳し、自分の見解のようにしてレポートにまとめるんですね。そうした受験勉強的な要領のよさとなると、まさに彼らは天才です。誤解のないように言い添えますが、私は日本におけるドリルワークのメリットも理解しているつもりです。ただ、アメリカの名門大学における教育を咀嚼できなかったはずのエリート留学生が、帰国して組織内で出世したり、ビジネス書の著者となって、やれ、西のハーバードと呼ばれるスタンフォード卒だとかハーバード卒を肩書きで謳うのは、パロディにしか映りません」
ライター氏の実体験によると、東大卒はプレッシャーと挫折に弱い傾向があり、留学先で引きこもりになる社会人留学生も少なくなかった。一方、アイビーリーグのキャンパスで「水を得た魚」として快活に学ぶのは、上智大卒が目立っていたという。
「自己紹介では『上智』ではなく『ソフィア』と言うわけですが、アメリカ人の学生は『キリスト教系の大学か』と理解が早いわけです。これは馬鹿にできません。また理解力と柔軟性のバランスが取れた人も多い印象を持ちました。女性も男性も打たれ強く、異国でもへこたれないバイタリティがありました。日本における上智のイメージとは違うところも面白かったです」
では早慶はどうか。こちらはアイビーリーグで東大にかち合うと、〝権力闘争〟で疲弊してしまうケースがあるという。むしろ早慶は日本人留学生の少ない、地方の州立大学で学んだ方が「アメリカ帰り」に相応しい実力を身に付ける、とライター氏は指摘する。
「東大を卒業して、官庁や名門企業に就職、更にアイビーリーグの大学・大学院を卒業しましたという経歴は、日本では圧倒的な力を発揮するでしょう。しかし所詮は日本国内の評価に過ぎません。企業や官庁など送り出す側は、将来の幹部候補にアイビーリーグでの人脈作りを期待しているそうですが、率直に言って夢物語です。今後、アイビーリーグ進学を専門とする予備校や塾が日本国内で増えたとしても、果して大学側が要求する『話し、書く力』を習得できるかは未知数です」
それもそのはず。アイビーリーグの精神を体現しているOBとして、ドナルド・トランプ大統領の名を挙げることはおかしくも何ともないという。ちなみにトランプ大統領はアイビーリーグの1つであるペンシルベニア大学を卒業している。
「沈黙は金」「出る杭は打たれる」「和を以て貴しとなす」などなど、以心伝心と協調性を重んじる諺に事欠かない日本社会に対して、アメリカは「歯に衣着せるな」「ペンは剣より強し」だ。大学では徹底したディベートで学生を鍛え上げるが、それはまさに学生が頭脳でケンカに明け暮れることを意味する。
文科省は大学入試改革でプレゼンテーション能力も試験対象にするとの検討が行われているというが、ライター氏は悲観的だ。
「アメリカの文化と日本の文化が異なるのですから、安易に輸入しても『仏作って魂入れず』に終わることは目に見えています。私は日本社会では、幼少期から変わらず、今でもKYと批判されるのがもっぱらです。幼少期からずっと、日本ではクラスメイトには『頭がおかしい』と本気で非難されていました。それがアメリカの高校に進むと、『ファニーガイ』と180度評価が変わるわけです。どっちがいいという問題ではなく、文化が違うんです」
日本の優等生は、国内で優等生として完結できる。別にハーバード、イエール、プリンストン……の学歴が必要というわけではないだろう。海外支社を歴任するならまだしも、結局は国内で出世を重ね、仕事が終われば六本木のキャバクラで「僕はハーバードを卒業したんです」と自慢するネタになるだけだ。
「企業や官庁の『アイビーリーグ幻想』に厭味を言う役割が期待されるマスコミでさえも、東大卒の社員をコロンビア大学のジャーナリズム学科に留学させるのですから、開いた口がふさがりません。ですが、米国で本当に評価されている、ジャーナリストを数多く輩出しているのは、コロンビアよりもむしろ、ミズーリ大学のジャーナリズム学科です。ミズーリ大では隔日紙として「ミズーリアン」を刊行し、学生時代から記者としての徹底した訓練を積み、その後、全米の新聞社に散っていき、そのなかで評価を得たものはワシントンポストやニューヨークタイムズに引き抜かれていきます。人世の最初から最後まで朝日人だ、などという人間はむしろ無能とみなされますよ。日本では転がる石は苔むさず、ですが、アメリカとアングロサクソンの社会では、転がれない石など無能の極み、と見做されますね」
アメリカではなくイギリスだが、夏目漱石が官費留学してノイローゼになったのは有名名な話だ。まさに自分の言葉を持ち、それが故に精神的に追い詰められたといえるが、今の留学生は漱石の爪の垢さえ全く必要としないのかもしれない。
(無料記事・了)